百人一首『62番』夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ(清少納言)

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百人一首の第62番は、作者 清少納言(せいしょうなごん)が詠んだ、知的な掛詞と皮肉が光る歌として知られています。

百人一首『62番』の和歌とは

原文

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

読み方・決まり字

よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ

よを」(二字決まり)

現代語訳・意味

まだ夜が明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、中国の函谷関ならともかく、この逢坂の関所は決して通すことはありませんよ(あなたに会うことも決してありませんよ)。

背景

百人一首『62番』の歌は、平安時代の才女・清少納言が詠んだものです。この歌が生まれた背景には、彼女と藤原行成という貴族との知的なやり取りがあります。

ある夜、藤原行成は清少納言のもとを訪れましたが、夜が明ける前に早々に帰ってしまいました。翌朝、行成は「鶏の鳴き声に急かされて帰った」と手紙で言い訳をします。これに対し、清少納言は中国の故事『函谷関』を引用し、「鶏の鳴き声の真似で関所を通ることはできても、逢坂の関は決して許しません」と返しました。

この歌は、清少納言の機知と教養、そして当時の宮中での知的な遊びの一端を表しています。さらに、「逢坂の関」は男女の逢瀬の象徴ともされ、恋の駆け引きを含む意味合いも持っています。

語句解説

夜をこめて「夜が明けないうちに」という意味。動詞「こめる(包み込む)」の連用形から派生した表現。
鳥の空音(そらね)「鳥」は鶏(にわとり)を指す。「空音(そらね)」は「鳴き真似」のこと。ここでは人が鶏の鳴き声を真似する様子を表す。
謀(はか)るとも「謀る」は「だます、計略を巡らせる」という意味。「とも」は逆接の接続助詞で、「~しても、~であっても」と訳される。
よに「決して」という意味の副詞。打消し表現を伴う。
逢坂(あふさか)の関は京都府と滋賀県の境にあった関所。「逢坂(あふさか)」には「逢う」という意味が掛けられており、男女の密会を指す掛詞としても使われる。
許(ゆる)さじ打消しの助動詞「じ」により、「許すつもりはない」の意を強調。

作者|清少納言

作者名清少納言(せいしょうなごん)
本名清原諾子(きよはらの なぎこ)と推定される
生没年966年(康保3年)頃~1025年(万寿2年)頃
家柄父は歌人の清原元輔、祖父・曽祖父も著名な歌人。学問と和歌の才に恵まれた家系。
役職一条天皇の中宮・藤原定子に仕えた女房。
業績日本最古の随筆「枕草子」を執筆。平安時代の知性と教養を代表する人物。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
歌の特徴漢学や中国の故事に通じた知的な歌風が特徴的。掛詞や言葉遊びが巧みで、機知に富む表現が目立つ。

出典|後拾遺和歌集

出典後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)
成立時期1086年(応徳3年)
編纂者藤原通俊(ふじわらのみちとし)が中心
位置づけ八代集の4番目の勅撰和歌集
収録歌数1,218首
歌の特徴伝統的な和歌を受け継ぎつつ新風を示し、女性歌人の作品が多く、宮廷生活を具体的に反映した詞書が特徴です。
収録巻「雑」940番

語呂合わせ

よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ

よを よに(ヨ~夜に)

百人一首『62番』の和歌の豆知識

返歌に込められた藤原行成の真意

清少納言がこの歌を詠んだ後、藤原行成も返歌を送りました。

その内容は、「逢坂の関は函谷関とは違い、鶏が鳴かなくても開いて待ってくれるでしょう」といった意味合いです。これは「あなたは私を待っていてくれるはずだ」という彼なりの冗談交じりの返事でした。

この返歌からも、二人の間には知性とユーモアに満ちた信頼関係があったことが伝わります。単なる恋の歌ではなく、平安貴族の優雅で機知に富んだ交流が垣間見えるエピソードです。

「夜をこめて鳥のそらねははかるとも」の意味とは?

「夜をこめて」は「夜が明けないうちに」という意味です。

「鳥のそらね」とは「鳥(鶏)の鳴き真似」のことを指します。「はかるとも」は「だまそうとしても」という意味で、この部分を合わせると「夜が明けないうちに、鶏の鳴き声を真似して人をだまそうとしても」という内容になります。

この表現は、中国の函谷関での故事を踏まえています。その故事では、深夜に逃げ出した孟嘗君が鶏の鳴き声を真似て関所を突破しました。清少納言はこの逸話を皮肉として引用し、行成の言い訳を軽くいなしているのです。

「よにあふ坂の関はゆるさじ」の意味とは?

この部分の意味は、「決して逢坂の関所を通すことはない」という強い意志を表しています。

「よに」は「決して」という否定の強調表現で、恋愛においても「絶対に逢わない」との意思を感じさせます。また、「逢坂の関」は京都と滋賀の境にある関所であると同時に、「逢う」という言葉を掛けて、男女が密会する場所という意味も含みます。つまり、「あなたに逢うことは決してありません」という意図が込められています。

このような掛詞を巧みに用いた表現は、清少納言の知性と感性の高さを物語っています。

まとめ|百人一首『62番』のポイント

この記事のおさらい
  • 百人一首『62番』の作者は清少納言である
  • 和歌の原文は「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
  • 決まり字は「よを」で、二字決まりである
  • 和歌の出典は『後拾遺和歌集』の「雑」940番に収録されている
  • 現代語訳は「鶏の鳴き真似をしても逢坂の関所は決して通らない」という意味である
  • 逢坂の関は京都と滋賀の境にあった関所を指す
  • 「逢坂」は「逢う」という意味を掛けている掛詞である
  • 和歌の背景には中国の函谷関の故事が関係している
  • 清少納言が友人の藤原行成とのやり取りの中で詠んだ歌である
  • 函谷関の故事では鶏の鳴き真似で門を開けた逸話がある
  • 清少納言は随筆『枕草子』を執筆した著名な作家でもある
  • 和歌は知的な掛詞や言葉遊びが特徴的である
  • 出典である『後拾遺和歌集』は八代集の4番目にあたる勅撰和歌集である
  • 『後拾遺和歌集』は1086年に成立し、1,218首が収録されている
  • 和歌の意味には「あなたに逢うことを拒否する」強い意志が含まれている
  • 歌に登場する「夜をこめて」とは「夜が明けないうちに」という意味である
  • 鳥のそらねは鶏の鳴き真似を指し、騙すことを表している
  • 「よに」は「決して」を意味する強い否定の副詞である
  • 清少納言は漢学や中国の故事に通じた知識人であった
  • この和歌は恋愛だけでなく知的な駆け引きの趣がある
  • 清少納言は中古三十六歌仙や女房三十六歌仙にも数えられている
  • 清少納言の知性や機知が光る歌として評価が高い
  • 藤原行成の軽い言い訳を皮肉で切り返した歌である
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