百人一首の第8番は、喜撰法師(きせんほうし)が詠んだ、静かな隠棲生活とそれに対する世間の誤解を描いた歌として知られています。
百人一首『8番』の和歌とは
原文
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり
読み方・決まり字
わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり
「わがい」(三字決まり)
現代語訳・意味
私の住まいは、都の東南(辰巳)の方角にあり、私はこのように静かに暮らしている。
しかし、世間の人々は、私がこの世を辛く思い、宇治山に隠れて住んでいるのだと言っているようです。
背景
百人一首の8番は、平安時代の歌人・喜撰法師(きせんほうし)による和歌です。この歌は、彼が京都の東南に位置する宇治山での隠遁生活を詠んだものとされています。平安時代の貴族や僧侶にとって、宇治は俗世間を離れた静かな場所として人気がありました。歌の背景には、都会の喧騒から離れて心静かに暮らす喜撰法師の姿と、世間の人々が彼の生活を誤解しているという状況が描かれています。
また、宇治は自然豊かで美しい風景に囲まれ、貴族の別荘地としても有名でした。一方で、当時の人々にとって宇治は「憂し(うし)」という言葉とも結びつきやすく、「世を憂いて逃げ込んだ」と解釈されることが多かったのです。この歌は、そういった誤解に対する作者の心情を含んでいます。
語句解説
わが庵(いほ) | 私の住まい。簡素な庵(あん)で、僧侶や隠者が住むことが多い小さな家のこと。 |
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都(みやこ) | 京都(平安京)を指します。都は政治や文化の中心地であり、多くの人々が住んでいました。 |
たつみ(辰巳) | 東南の方角のこと。十二支で「辰」と「巳」の間に位置する方角を指します。宇治山は京都の東南にあります。 |
しかぞ住む | 「しか」は「このように」の意味で、作者が現在の穏やかな暮らしを指しています。「住む」は生活していることを意味します。 |
世をうぢ山 | 「うぢ」は地名の「宇治」と、「憂し」(つらい)を掛けています。世間では、宇治山に住んでいることを「憂き世から逃れている」と解釈されていることを指しています。 |
人はいふなり | 「人」は世間一般の人々を意味します。「いふなり」は伝聞の助動詞「なり」で、「〜と言われている」という意味です。世間の人が噂しているというニュアンスを含んでいます。 |
作者|喜撰法師
作者名 | 喜撰法師(きせんほうし) |
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本名 | 不明。僧侶としての名前「喜撰法師」で伝わっていますが、俗名などの詳細は伝わっていません。 |
生没年 | 不明。9世紀後半に活動していたとされますが、正確な生年や没年は不明です。 |
家柄 | 詳細は不明。 |
役職 | 僧侶。宇治山に隠棲していた僧侶とされていますが、詳しい役職や僧侶としての活動内容は伝わっていません。 |
業績 | 六歌仙の一人として、『古今和歌集』に選ばれた和歌が一首伝わっています。これが彼の唯一の作品として確実に伝わるものです。 |
歌の特徴 | 「詞かすかにして、始め終わりたしかならず」とされ、具体的な内容や意図がはっきりしないとも言われています。しかし、のどかな隠棲生活を穏やかに描く点に独特の魅力があります。 |
出典|古今和歌集
出典 | 古今和歌集(こきんわかしゅう) |
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成立時期 | 905年(延喜5年) |
編纂者 | 紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(きのとものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね) |
位置づけ | 八代集の最初の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 1,111首 |
歌の特徴 | 四季、恋、哀傷など多様なテーマに基づいた和歌が収められています。四季の歌は日本の自然美を表現し、恋の歌は人間の感情を深く掘り下げています。 |
収録巻 | 「雑下」983番 |
語呂合わせ
わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり
「わがい うぢやま(わ~かゆい ウジムシの山)」
百人一首『8番』の和歌の豆知識
宇治はリゾート地だった?
のどかな自然に囲まれた場所で、貴族たちが別荘を構えて楽しむ場所として知られていました。そのため、作者が「平穏に暮らしている」という気持ちは、この環境にマッチしています。
架空の人物説?
『古今和歌集』にわずか1首しか和歌が残っていないことから、彼が架空の人物であるか、あるいは彼に帰される和歌が少なかっただけではないかという議論があります。このような背景から、喜撰法師は今も謎めいた存在として語られています。
平等院と宇治
この場所は極楽浄土を象徴する寺院として知られ、和歌や歴史的な価値だけでなく、宗教的にも重要な地です。
まとめ|百人一首『8番』のポイント
- 百人一首『8番』は、喜撰法師による和歌である
- 原文は「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」
- 読み方は「わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり」
- 「わがい」の部分が三字決まりである
- 和歌の現代語訳は、静かに暮らしている様子と世間の誤解を詠んでいる
- 「わが庵」は作者の簡素な住まい、庵を指す
- 「たつみ」は十二支の東南の方角を示す言葉である
- 「しかぞ住む」は「このように暮らしている」という意味である
- 「うぢ」は宇治と「憂し」を掛けている
- 「人はいふなり」は世間の噂を意味している
- 喜撰法師は六歌仙の一人である
- 喜撰法師の本名や生没年は不明である
- 和歌の出典は『古今和歌集』である
- 『古今和歌集』は905年に編纂された日本初の勅撰和歌集である
- 和歌は「雑下」の巻に収録されている
- 宇治は平安時代に貴族のリゾート地として人気があった
- 喜撰法師が実在しなかった可能性も議論されている
- 宇治は後に藤原頼通が平等院鳳凰堂を建立した地である