百人一首の第14番は、河原左大臣(かわらのさだいじん)が詠んだ、遠く離れた陸奥の地を背景に、乱れる恋心を巧みに表現した歌として有名です。
この記事では、百人一首『14番』の原文、読み方、決まり字、現代語訳と意味について説明します。
さらに、作者、出典や語呂合わせについても詳しく解説していきます。
百人一首『14番』の和歌とは
原文
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに
読み方・決まり字
みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに
「みち」(二字決まり)
現代語訳・意味
陸奥地方で作られる「しのぶもぢずり」の乱れ模様のように、私の心が乱れ始めてしまいました。いったい誰のせいなのでしょうか。私のせいではなく、あなたのせいなのですよ。
語句解説
陸奥(みちのく) | 東北地方の太平洋側、現在の福島県や宮城県を中心とした地域を指します。京都から遠く離れた地方の象徴として使われます。 |
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しのぶもぢずり | 福島県信夫地方で作られていた「摺り衣(すりごろも)」のことです。忍草(しのぶぐさ)の汁を使って染めた乱れ模様の着物で、「乱れ」や「忍ぶ」という語に掛けた序詞(導入句)として使われています。 |
誰ゆゑに(たれゆゑに) | 誰のせいで、誰が原因でという意味です。この場合、心の乱れが誰のせいで起こったのかを問いかけています。 |
乱れそめにし(みだれそめにし) | 「乱れ」は心の乱れ、「そめ」は「初め」の意味で、心が乱れ始めたという表現です。また「そめ」は「染め」にも掛かっており、着物の模様と恋心の乱れを重ねています。 |
われならなくに(われならなくに) | 「私のせいではないのに」という意味です。ここでは、心の乱れの原因は自分ではなく、暗に「あなたのせい」と言っています。 |
作者|河原左大臣
作者名 | 河原左大臣(かわらのさだいじん) |
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本名 | 源融(みなもとのとおる) |
生没年 | 822年 – 895年 |
家柄 | 嵯峨天皇の皇子(第十二皇子)で、皇族出身ですが臣籍降下し、源氏の姓を賜りました。 |
役職 | 左大臣(朝廷の最高職の一つで、政治の要職)を務めました。従一位という高位にまで昇進しています。 |
業績 | 平安時代の文化人として多くの和歌を残し、またその生活様式は『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一つとも言われています。 |
歌の特徴 | 風雅を重んじ、自然や遠く離れた地方の景色を取り入れた歌を詠むことが特徴です。恋愛に関する歌が多く、特に「忍ぶ恋」や、報われない恋に苦しむ心情を巧みに表現しています。 |
出典|古今和歌集
出典 | 古今和歌集(こきんわかしゅう) |
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成立時期 | 905年(延喜5年) |
編纂者 | 紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(きのとものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね) |
位置づけ | 八代集の最初の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 1,111首 |
歌の特徴 | 四季、恋、哀傷など多様なテーマに基づいた和歌が収められています。四季の歌は日本の自然美を表現し、恋の歌は人間の感情を深く掘り下げています。 |
収録巻 | 「恋四」724番 |
語呂合わせ
みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに
「みち にし(道西)」
百人一首『14番』の和歌の豆知識
しのぶもじずりの花とは?
この植物は、シダの仲間で、茎や葉の汁が染料として利用されていました。しのぶ草は、自然に自生する強い植物で、山地や湿地などでよく見られます。その強さとしなやかさから、平安時代には「忍ぶ草」として、恋心や秘めた感情を表現する象徴としても扱われました。
しのぶもじずりの模様とは?
この染め物は「しのぶ草」と呼ばれる植物を使い、石の上に布を置いて自然な模様を染め出す技法で作られました。乱れた模様が特徴で、まるで自然に広がる渦や波のような風合いが楽しめます。
光源氏のモデル? 河原左大臣とはどんな人?
彼の本名は源融(みなもとのとおる)で、嵯峨天皇の皇子として生まれました。彼の優雅な生活と風流な趣味は、後に『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルの一人とされています。特に、河原左大臣が京都の賀茂川西岸に造営した「河原院」は、当時の貴族社会で話題となり、その邸宅の美しさは有名でした。和歌を通じて表現された彼の洗練された感性は、光源氏に重ねて語られることが多いのです。
陸奥と京都、遠く離れた地を詠む理由とは?
なぜこのような場所を詠んだのでしょうか?実は、遠く離れた場所を歌に取り入れることで、当時の都に住む人々に「物理的な距離」と「心の隔たり」を感じさせる効果があったのです。陸奥は日常から離れた異郷としてのイメージがあり、遠い土地を使って恋の想いの深さや手の届かない相手への切なさを表現しています。こうした背景が歌の魅力を増しています。
芭蕉も見た「文知摺石」 今でも福島で見られる?
江戸時代には俳人・松尾芭蕉がこの地を訪れ、『奥の細道』にその石について記しています。現在でも福島を訪れれば、信夫山のふもとにある「文知摺石」を見ることができるため、歴史と歌に触れる旅行先としても人気があります。このように、古代の文化が今でも息づいている場所として、観光名所となっています。
まとめ|百人一首『14番』のポイント
- 百人一首『14番』は、河原左大臣(源融)が詠んだ恋の和歌である
- 原文は「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」
- 読み方は「みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに」
- 「みち」(二字決まり)が決まり字である
- 現代語訳では、心の乱れを相手のせいにしている歌である
- 「陸奥」は現在の福島県や宮城県にあたる東北地方を指す
- 「しのぶもぢずり」とは、福島県信夫地方で作られた摺り衣のことである
- 「誰ゆゑに」は「誰のせいで」といった意味を持つ
- 「乱れそめにし」は、心が乱れ始めたことを表す表現である
- 「われならなくに」は「私のせいではないのに」という意味を持つ
- 河原左大臣は嵯峨天皇の皇子であり、源氏の姓を賜った
- 歌の出典は『古今和歌集』であり、恋四・724番に収録されている
- 「しのぶもぢずり」の模様は、恋心の乱れを象徴している
- 河原左大臣は『源氏物語』の光源氏のモデルの一人とも言われる
- 出典である『古今和歌集』は、日本最初の勅撰和歌集である
- 歌の背景には、遠く離れた地を恋心に重ねる技巧がある
- 「しのぶもぢずり」を作る石「文知摺石」は福島県に現存する
- 松尾芭蕉も『奥の細道』でこの石に触れている