百人一首『16番』立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む

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百人一首の第16番は、別れと再会への願いを描いた美しい和歌として知られています。この歌は、平安時代の貴族である在原行平によって詠まれ、彼の切ない思いが巧みに表現されています。

この記事では、和歌の原文と読み方、決まり字について説明し、より深い理解のための現代語訳とその意味を提供します。

さらに、この和歌の背景や作者である在原行平の人物像についても解説します。加えて、この作品がどのようにして『古今和歌集』に収録され、伝えられてきたかという出典情報も詳しく紹介します。

都を離れる行平の心情を感じ取りながら、和歌の奥深い世界へと旅立ちましょう。

目次

百人一首『16番』の和歌とは

原文

立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む

読み方・決まり字

たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかえりこむ
※「たち」(二字決まり)

現代語訳・意味

あなたと別れて因幡の国に行くけれど、因幡の稲羽山に生えている松ではないけれど、もし待っていると聞いたならすぐに戻ってきます

解説

百人一首の16番の歌は、在原行平が因幡国の地方官に任命され、京都を離れる際に詠んだ歌です。

彼の心情を知ることで、歌の背景がよく理解できます。

まず、彼は平安時代に活躍した貴族で、都での生活を惜しみつつも職務を果たすために地方へ赴くことになります。そのため、親しい人々との別れが切ないものでした。この歌は、そうした別れの場面での感情を詠んだものです。

「いなばの山」は因幡の稲羽山を指し、「松」と「待つ」を掛け合わせた言葉遊びを使っています。松がしっかりと根を張っているように、自分もいずれ帰ってくることを暗示しています。この掛詞の技法は、平安時代の和歌でよく使われる表現です。

一方で、この歌は、ペットが迷子になったときのおまじないとしても使われてきました。歌に込められた「待つ」という思いが、失われたものを取り戻す願いに通じると考えられたのです。

このように、歌の背後にある思いと技巧を知ることで、歌に対する理解がより深まるでしょう。

作者|在原行平

百人一首の16番の歌を詠んだのは在原行平(ありわらのゆきひら)という平安時代の貴族です。

彼は、詩人としても知られ、文学や政治の世界で活躍しました。

まず、在原行平は818年に生まれ、平城天皇の子である阿保親王の子として知られています。この家系は、皇族の一部として非常に高貴な家柄でした。彼は在原業平という有名な歌人の異母兄にあたりますが、二人の才能はよく似ており、どちらも優れた歌を詠みました。

行平は、政治家としても優秀で、因幡国や播磨国などの地方の役職に就きました。任命された地域では、国の発展に力を尽くし、その業績が認められました。こうした地方への赴任の際に詠んだのが、今回の16番の歌です。

言ってしまえば、彼の歌は、華やかな宮廷生活を離れて地方に赴く寂しさと、京都への思慕を強く感じさせるものです。特に、この歌は別れを惜しむ心情を繊細に表現しています。このような背景を知ると、彼の歌が持つ深い意味をより理解しやすくなります。

出典|古今和歌集

百人一首の16番の歌は、『古今和歌集』という日本最古の勅撰和歌集に収録されています。

これは、平安時代初期に成立した和歌集で、多くの優れた歌が収められています。

この和歌集の作成の目的は、天皇の命令によって日本の古くからある詩を集め、保存することでした。『古今和歌集』は紀貫之(きのつらゆき)をはじめとする複数の歌人によって編集され、905年頃に完成しました。歌集には、四季や恋愛、旅などさまざまなテーマの歌が含まれています。

在原行平のこの歌は、離別の部に分類されています。これは、友人や家族との別れをテーマにした歌が集められた部分です。彼の歌は、都を離れ、因幡国という遠方の地に赴く際に詠まれたものです。このため、離別の悲しみと再会への期待が切実に表現されています。

このように、『古今和歌集』の中に位置付けられた行平の歌は、平安時代の文学や文化を理解する上で非常に重要です。百人一首に選ばれたことで、現代でも多くの人に親しまれています。これをきっかけに、和歌の持つ魅力をより深く知っていただければと思います。

百人一首『16番』の和歌の豆知識

因幡守に任ぜられた理由

在原行平が因幡守に任ぜられたのは、彼の優れた行政能力と信頼性が認められていたからです。

地方の重要な役職には、経験豊富で実力のある人物が選ばれることが一般的でした。

まず、因幡国は現在の鳥取県東部に位置し、当時は地方政治を円滑に行う必要がありました。行平は、中央の貴族として多くの経験を積んでおり、信頼できる人物と見なされていました。地方の役職は、中央からの命令を実行し、地域の安定を図る重要な任務です。

彼は以前の任務で優れた結果を残しており、その実績が因幡国でも評価されました。行平は、地方での問題を解決し、地域社会を発展させるための政策を推進できる能力があると考えられていました。

ただし、都を離れて地方に赴任することは、親しい人々との別れを意味します。行平はこの寂しさを歌に詠むことで、都への思いを表現しました。こうした背景を理解することで、彼がどのような思いでこの役職に就いていたかをより深く知ることができます。

在原業平との関係

在原行平と在原業平は、兄弟として深い関係にありました。

行平は業平の異母兄であり、共に平安時代を代表する歌人です。

在原業平は、平安時代の貴族であり、『伊勢物語』の主人公としても知られています。一方、在原行平は政治的にも優れた能力を持ち、地方官としての役割を果たしました。二人は共に優れた歌を詠み、文学的にも多くの影響を与えました。

業平は、情熱的で恋愛をテーマにした歌を多く残し、その独自の感性で知られています。一方、行平は、離別や人々への思いを詠むことが多く、切ない感情を表現することに優れていました。このように、兄弟それぞれの個性が、平安時代の和歌文化を豊かにしました。

言ってしまえば、二人は互いに影響を与え合い、その詩的な才能が広く知られました。彼らの歌は、現在でも多くの人に親しまれ、百人一首に選ばれるなど、日本の文化遺産として大切にされています。こうした背景を知ることで、彼らの歌が持つ魅力が一層理解しやすくなるでしょう。

おまじないとしての歌

百人一首の16番の歌は、失ったものを取り戻すためのおまじないとしても使われています。

この歌が持つ再会への願いが、人々の心に深く響いているからです。

おまじないとは、言葉や行動によって特定の結果を引き寄せようとする行為です。平安時代から人々は、和歌の力を信じ、困ったときには和歌を詠んで願いを託してきました。

迷子になったペットが戻ってくるように願うとき、この歌を戸口に掲げる風習がありました。「待つ」という言葉には、相手が戻ってくることを強く願う気持ちが込められています。

このように、和歌は単なる文学作品としてだけでなく、人々の生活に寄り添う形で役立てられてきました。特に百人一首の16番の歌は、別れと再会への思いを表現することで、多くの人に愛され続けているのです。

まとめ|百人一首『16番』のポイント

この記事のおさらい
  • 百人一首16番の歌は在原行平によって詠まれた
  • 和歌の原文は「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」
  • 読み方は「たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかえりこむ」
  • 現代語訳では、別れを惜しむ心情が表現されている
  • 因幡の国に赴く際の別れの感情を詠んでいる
  • 「松」と「待つ」を掛け合わせた言葉遊びが使われている
  • 行平は平安時代の貴族であり、歌人としても知られる
  • 彼は因幡国の地方官として任命された
  • 歌は『古今和歌集』に収録されている
  • 『古今和歌集』は平安時代初期に成立した和歌集である
  • 『古今和歌集』は紀貫之をはじめとする歌人によって編集された
  • この歌は離別の部に分類されている
  • 在原業平の異母兄である
  • 行平は都を離れる寂しさを歌に表現している
  • ペットが迷子になったときのおまじないとして使われることもある
  • 歌には再会への願いが込められている
  • 平安時代の文化や文学を理解する上で重要な作品である
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