百人一首の第30番は、作者 壬生忠見(みぶのただみ)が詠んだ、恋に悩む心情を巧みに表現した歌として知られています。
百人一首『30番』の和歌とは

原文
有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり うきものはなし
読み方・決まり字
ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし
「ありあ」(三字決まり)
現代語訳・意味
有明の月は、夜明けが近づいているにもかかわらず、冷たくそっけなく見えました。それは、別れた時に感じた女性の冷淡さと重なります。その時から今に至るまで、夜明け前の時間ほど、つらく感じる瞬間はありません。

背景
百人一首『30番』の和歌は、平安時代の歌人・壬生忠岑(みぶのただみね)によって詠まれた和歌です。この歌は『古今和歌集』の「恋」の部に収録されており、男女の切ない別れの情景が描かれています。
平安時代の貴族社会では、男性が夜に女性のもとを訪れ、明け方には帰ることが一般的でした。その別れ際の寂しさや虚しさを、有明の月の冷たさに重ね合わせて表現しています。
また、当時の人々は自然や月に自らの心情を託し、詩的に表現する文化が根付いていました。この歌もその一例であり、平安時代の恋愛観や当時の人間関係の繊細さを垣間見ることができる作品です。
語句解説
有明の(ありあけの) | 夜が明けても空に残っている月のこと。月齢15日以降の、夜明け前まで見える月を指します。 |
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つれなく見えし(つれなくみえし) | 「つれなく」は、冷淡であるという意味。「見えし」は、過去のことを指しており、「冷たく見えた」と回想しています。 |
別れより(わかれより) | 「より」は起点を示す言葉で、「別れた時から」という意味です。ここでは、恋人との別れの場面を指しています。 |
暁ばかり(あかつきばかり) | 「暁(あかつき)」は、夜明け前の最も暗い時間帯を指します。「ばかり」は程度を示す副詞で、「暁ほど」と訳されます。 |
憂きものはなし(うきものはなし) | 「憂き(うき)」は「つらい、悲しい」という意味です。「憂きものはなし」は、「暁ほどつらいものはない」と表現しています。 |
作者|壬生忠岑

作者名 | 壬生忠岑(みぶの ただみね) |
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生没年 | 生没年不詳(898年頃に活躍し、920年頃まで生きていたとされる) |
家柄 | 下級貴族の家柄。息子に百人一首『41番』の作者である壬生忠見(みぶのただみ)がいる。 |
役職 | 六位摂津権大目(せっつごんのだいさかん)など、宮中で下級官僚の職に就いていた。右衛門府生(うえもんのふしょう)や御厨子所預(みずしどころのあずかり)なども経験。 |
業績 | 『古今和歌集』の撰者の一人として活躍。三十六歌仙の一人にも数えられる和歌の名手。宮中の歌会にも積極的に参加。 |
歌の特徴 | 恋愛をテーマにした歌が多く、特に中年男性の悲哀や孤独感を詠むことが得意。自身の恋の体験を繊細かつ現実的に表現する歌風が特徴。感傷的な別れや夜の情景を巧みに詠んだ歌が評価されている。 |
出典|古今和歌集
出典 | 古今和歌集(こきんわかしゅう) |
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成立時期 | 905年(延喜5年) |
編纂者 | 紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(きのとものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね) |
位置づけ | 八代集の最初の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 1,111首 |
歌の特徴 | 四季、恋、哀傷など多様なテーマに基づいた和歌が収められています。四季の歌は日本の自然美を表現し、恋の歌は人間の感情を深く掘り下げています。 |
収録巻 | 「恋三」625番 |
語呂合わせ
ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし
「ありあ と あり(あ)」
百人一首『30番』の和歌の豆知識

有明の月とは?
特に、旧暦の16日以降の月は「有明月(ありあけづき)」と呼ばれ、明け方まで輝き続けるのが特徴です。夜が明けていく中で、ぽつんと残る月はどこか寂しげな印象を与えます。そのため、古くから和歌や文学の題材として用いられ、恋の別れや切ない気持ちを表現する象徴となりました。
百人一首『30番』の歌でも、有明の月の冷たさを感じる様子が描かれています。まるで感情のない月が、恋の別れを見届けるだけで何も語らないように感じられたのでしょう。当時の人々にとって、月はただの天体ではなく、心の内を映す存在だったのです。
壬生忠岑の中年男性の悲哀
平安時代、貴族の恋愛は夜の訪問が基本でした。しかし、忠岑は期待して訪れた女性のもとで冷たくあしらわれ、しぶしぶ帰ることになります。その時に見上げた有明の月までが素っ気なく、まるで自分を慰めるどころか、追い討ちをかけるように感じたのです。
若い頃なら、恋の駆け引きを楽しめたかもしれません。しかし、年を重ねると、求めていた安らぎを得られず、ただ寂しさだけが募るものです。この歌は、そうした人生の哀愁を詠んでいます。現代でも、仕事に疲れた中年男性が家に帰ると冷たい態度を取られる…そんな経験をした人には、特に共感できる歌かもしれません。
壬生忠岑の逸話
彼は下級の官職に就いていましたが、歌の才能を認められ、宮中の歌会にたびたび参加していました。そのため、歌を通じて多くの貴族とも交流があったと考えられます。彼には面白い逸話も残されています。
あるとき、忠岑が藤原定国という貴族の随身(従者)として仕えていた際、定国が酔った勢いで左大臣・藤原時平の屋敷を訪ねたことがありました。驚いた時平が「何の用か?」と問い詰めると、忠岑は機転を利かせて歌を詠み、その場を和ませたと伝えられています。こうした即興の才能も、彼が優れた歌人と評価される理由の一つだったのでしょう。
まとめ|百人一首『30番』のポイント
- 原文:有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり うきものはなし
- 読み方:ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし
- 決まり字:ありあ(三字決まり)
- 現代語訳:有明の月は冷たくそっけなく見えた。それは、別れの時の女性の冷たさと重なり、別れ以来、夜明け前ほどつらい時間はないと感じる
- 背景:平安時代の貴族社会では、男性が夜に女性を訪れ、明け方に帰る習慣があった。この別れの寂しさを有明の月に重ねて詠んだ歌
- 語句解説①:有明の‐夜明け近くまで空に残る月のこと
- 語句解説②:つれなく見えし‐「つれなく」は冷淡であること。「見えし」は過去を表し「冷たく見えた」となる
- 語句解説③:別れより‐「より」は起点を示し、「別れた時から」という意味
- 語句解説④:暁ばかり‐「暁(あかつき)」は夜明け前の最も暗い時間帯を指し、「ばかり」は「~ほど」の意味
- 語句解説⑤:憂きものはなし‐「憂き(うき)」は「つらい、悲しい」の意味で、「夜明け前ほどつらいものはない」となる
- 作者:壬生忠岑(みぶの ただみね)
- 作者の業績:『古今和歌集』の撰者の一人であり、三十六歌仙の一人にも数えられる和歌の名手
- 出典:古今和歌集(こきんわかしゅう)
- 出典の収録巻:恋三・625番
- 語呂合わせ:ありあ と あり(あ)
- 豆知識①:有明の月は恋の別れや切なさを表現する象徴として、多くの和歌に詠まれている
- 豆知識②:人生の哀愁を詠んでいる
- 豆知識③:即興で歌を詠む機転の良さがあり、貴族の席で場を和ませた逸話が残っている