百人一首『43番』逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり(権中納言敦忠)

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百人一首の第43番は、作者 権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)が詠んだ、恋が成就した後の複雑な感情を描いた歌として知られています。

この記事では、百人一首『43番』の原文、読み方、決まり字、現代語訳と意味について説明します。
さらに、作者、出典や語呂合わせについても詳しく解説していきます。

百人一首『43番』の和歌とは

原文

逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり

読み方・決まり字

あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり

「あい」(二字決まり)

現代語訳・意味

あなたと逢って契りを結んだ後の恋しい気持ちと比べてみると、昔の恋の想いはまるで物思いしていなかったかのように感じる。

語句解説

逢ひ見ての「逢ふ」と「見る」は共に恋人同士が関係を持つことを指します。この歌では「逢ひ見て」が「恋人同士の逢瀬を遂げる」という意味を持ちます。
のちの心恋人関係となった後の心情、または現在の気持ちを表します。歌では、恋が成就した後の強くなった恋心を指しています。
くらぶれば「比べると」という意味です。ここでは、過去の恋心と現在の恋心を比較しています。
昔は逢瀬を遂げる前のことを指します。この場合、恋がまだ成就していなかった時期のことを示します。
ものを思はざりけり「ものを思ふ」は「恋に悩む」という意味です。「ざり」は打ち消しの助動詞、「けり」は詠嘆の助動詞で、「昔の恋心なんて、何も思っていなかったようなものだったなあ」という驚きや感動を表現しています。

作者|権中納言敦忠

作者名権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)
本名藤原敦忠(ふじわらのあつただ)
生没年906年(延喜6年)~ 943年(天慶6年)
家柄父は左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)、母は在原業平の孫という名門の血筋。平安時代中期の貴族で、名門藤原北家の出身。
役職藤原家の重要な役職を務め、従三位(じゅさんみ)・権中納言(ごんちゅうなごん)に任命されました。また、琵琶の名手としても有名で、「枇杷中納言」とも称されました。
業績三十六歌仙の一人に数えられる優れた歌人であり、彼の歌は『拾遺和歌集』に多く収録されています。恋歌が特に多く、彼の情熱的な歌風は後世にも高く評価されています。
歌の特徴恋愛に関する切ない感情や、成就後の喜びと苦しみを繊細に表現する歌が多いです。特に、恋が成就した後の強まる感情や、そこに伴う複雑な心情を巧みに詠むのが特徴です。

出典|拾遺和歌集

出典拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)
成立時期1005年頃(平安時代中期)
編纂者花山院(かざんいん)
位置づけ八代集の3番目の勅撰和歌集
収録歌数1,351首
歌の特徴優雅でしめやかな歌風が特徴で、贈答歌が減少し、旋頭歌や長歌が採用されています。古今集の伝統を重んじつつも、伝統の枠を超えた表現が多く見られます。
収録巻「恋二」710番

語呂合わせ

あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり

あい むかし(昔は愛していた)

百人一首『43番』の和歌の豆知識

「逢ひ見てののちの心にくらぶれば」の意味は?

「逢ひ見てののちの心にくらぶれば」は、平安時代の恋愛に関する深い感情を表現した一文です。

「逢ひ見て」とは、恋人同士が実際に会って関係を持つことを指し、現代でいう「逢瀬(おうせ)」のような意味です。「のちの心」は、その後の気持ち、つまり逢瀬を遂げた後の恋心を表しています。

このフレーズでは、昔の恋心と比べて、今感じている恋心の方がはるかに大きいと感じているのです。このように、恋愛の喜びと同時に、それがさらに募る切なさを表現した一節です。

恋愛成就後の複雑な感情を詠んだ歌

百人一首『43番』の歌は、恋愛が成就した後の心情を詠んだ珍しい例です。

通常、恋愛歌は片思いの切なさや成就を願うものが多いですが、この歌では「逢ってからの方が、もっと苦しい」という複雑な感情を表現しています。恋人に会いたいと思っていた頃は、実はそれほど苦悩していなかったことに気づくという、恋愛の本質を見事に描いています。恋が成就しても、感情の波は続くのです。

「後朝の歌」としての意味

この歌は「後朝の歌(きぬぎぬのうた)」として詠まれたと伝えられています。

後朝の歌とは、男女が一夜を共にした翌朝に贈り合う歌のことです。この習慣は平安時代に広がり、恋の進展を詠む場面でよく使われました。この歌も、愛しさが募りすぎたことを詠んでおり、逢瀬を共にした後の深い感情を感じ取ることができます。

権中納言敦忠の若すぎる死

藤原敦忠は、わずか38歳という若さで亡くなりました。

彼の父、藤原時平は、菅原道真を左遷した人物として知られ、その後、一族が次々に若くして亡くなったことから、道真の怨霊が影響しているのではないかという噂が広まりました。敦忠も自分の短命を予感していたとも伝えられており、その人生が歌に影響を与えた可能性があります。

まとめ|百人一首『43番』のポイント

この記事のおさらい
  • 百人一首『43番』の歌は権中納言敦忠によって詠まれた
  • 原文は「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり」
  • 読み方は「あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり」
  • この歌の決まり字は「あい」で二字決まり
  • 現代語訳では「逢った後の恋心が強すぎて、昔の恋心は何も感じていなかったようだ」となる
  • 「逢ひ見て」は恋人同士が関係を持つことを指す
  • 「のちの心」は逢瀬を遂げた後の気持ちや現在の心情を意味する
  • 「くらぶれば」は「比べると」という意味を持つ
  • 「昔は」は逢瀬を遂げる前のことを示している
  • 「ものを思はざりけり」は昔の恋心を感じなかったかのように思う感情を表現している
  • 出典は『拾遺和歌集』で、「恋二」の巻710番に収録されている
  • 『拾遺和歌集』は平安時代中期に成立し、編纂者は花山院とされている
  • 43番の歌は「後朝の歌」としても知られ、男女が一夜を共にした翌朝に詠まれる
  • 藤原敦忠は38歳で亡くなり、その若すぎる死が恋歌に影響した可能性がある
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