百人一首『47番』八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり(恵慶法師)

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百人一首の第47番は、作者 恵慶法師(えぎょうほうし)が詠んだ、秋の寂しさと荒廃した家の情景を巧みに表現した歌として知られています。

百人一首『47番』の和歌とは

原文

八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり

読み方・決まり字

やえむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり

「やえ」(二字決まり)

現代語訳・意味

幾重にもつる草が生い茂っている荒れ果てた家。誰も訪れる人はいないが、秋だけは確かにやってきたのだなあ。

背景

百人一首47番の歌は、平安時代の歌人・恵慶法師が詠んだ作品です。

この歌が生まれた背景には、当時の「河原院(かわらのいん)」という豪華な邸宅の荒廃した姿があります。河原院はかつて源融(みなもとのとおる)が建てた壮麗な邸宅でしたが、時代の流れとともに手入れが行き届かなくなり、雑草が生い茂る寂しい場所となっていました。

恵慶法師はその荒廃した景色の中に、季節だけは変わらず巡ってくることに感動を覚え、この歌を詠みました。また、当時の貴族たちは荒廃した風景に「わび・さび」といった美意識を見出し、それを和歌に込める文化がありました。この歌は、そんな平安時代特有の情緒を色濃く反映していると言えるでしょう。

語句解説

八重葎(やえむぐら)「葎(むぐら)」は、つる状に絡まる雑草のことです。「八重(やえ)」は「何重にも」という意味で、つる草が幾重にも生い茂っている状態を表します。
しげれる宿(やど)「宿(やど)」は家を意味します。「しげれる」は「生い茂っている」という意味で、ここでは雑草が生い茂って荒廃した家のことを指します。
さびしきに「さびしき」は「寂しい」という意味です。「に」は場所を示す助詞で、ここでは「寂しい場所で」という意味になります。
人こそ見えね「こそ」は強調の助詞です。「見えね」の「ね」は打ち消しの意味で、「見えない」という意味です。全体で「誰も人が見えないけれども」という意味になります。
秋は来にけり「けり」は感動を表す助動詞で、「来にけり」は「秋が来たのだなあ」と気づいたことを表します。秋の到来に対する感慨が込められています。

作者|恵慶法師

作者名恵慶法師(えぎょうほうし)
本名不詳
生没年不詳
家柄詳細な家柄は不明ですが、平安時代の国分寺の僧侶で、歌人としても活動していたとされています。
役職播磨国の国分寺で「講師」(こうじ)という僧侶を指導・監督する役職に就いていたと考えられています。
業績中古三十六歌仙の一人に数えられるほど、平安時代の著名な歌人として評価されています。『拾遺和歌集』や他の勅撰和歌集に複数の歌が収められています。
歌の特徴寂寥感や物悲しさを詠むことに優れ、自然の移り変わりや人のいない風景を繊細に表現しています。秋の寂しさを描いた作品が多く、その中でも今回の歌は、秋の到来と荒廃した家の対比を見事に詠んでいます。

出典|拾遺和歌集

出典拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)
成立時期1005年頃(平安時代中期)
編纂者花山院(かざんいん)
位置づけ八代集の3番目の勅撰和歌集
収録歌数1,351首
歌の特徴優雅でしめやかな歌風が特徴で、贈答歌が減少し、旋頭歌や長歌が採用されています。古今集の伝統を重んじつつも、伝統の枠を超えた表現が多く見られます。
収録巻「雑集」1128番

語呂合わせ

やえむぐら しげれるやどの さびしきに とこそみね あきはきにけり

やえ ひえ(やえ~ ひえ~)

百人一首『47番』の和歌の豆知識

「八重むぐら」とはどういう意味ですか?

「八重むぐら」は、つる状の雑草が幾重にも生い茂っている状態を指します。

「八重」という言葉は、重なり合う様子を表し、「むぐら」はつる草や雑草の総称です。これは、放置された家や庭が荒れ果てて、雑草が繁茂している様子を表現するためによく使われる言葉です。

百人一首『47番』の歌では、荒れた家や庭の情景を具体的に描写し、寂しさを強調するために「八重むぐら」が用いられています。この言葉を通して、訪れる人もなく、自然にのみ支配された風景が鮮やかに浮かび上がります。

「人こそ見えね秋は来にけり」の意味は?

「人こそ見えね秋は来にけり」という部分は、「訪れる人は誰もいないが、それでも秋はやってきたのだなあ」という意味です。

この歌では、荒れ果てた邸宅に人の気配がなく、ひっそりと静まり返っている様子が描かれています。しかし、季節だけは変わらず訪れるという自然の営みが対比的に表現されています。

「人こそ見えね」は「人は見当たらないけれども」という逆接の意味合いを持ち、「秋は来にけり」の「けり」は「今気づいた」という詠嘆の助動詞です。つまり、誰も訪れない寂しい場所にも秋だけは確実に訪れることへの驚きや感慨が込められています。この一節には、時の流れや自然の摂理に対する静かな感動と、寂しさの中にも美しさを見出す平安時代の美意識が表れています。

恵慶法師と文人たちの交流

恵慶法師は、一流の歌人たちと積極的に交流していました。

平安時代には、貴族や僧侶が集まって歌を詠む「歌合」という行事があり、恵慶法師もその一員として活躍していました。彼は特に、平兼盛や清原元輔といった著名な歌人と親交を深めていました。このような文人たちとの交流が、彼の感性をさらに磨き、繊細で美しい歌を詠むことに繋がったのです。

まとめ|百人一首『47番』のポイント

この記事のおさらい
  • 百人一首『47番』の作者は平安時代中期の歌人、恵慶法師である
  • 原文は「八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり」
  • 読み方は「やえむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり」
  • 決まり字は「やえ」(二字決まり)
  • この歌は荒れ果てた家に秋が訪れる情景を詠んでいる
  • 「八重葎」は、つる草が幾重にも生い茂る様子を意味する
  • 「しげれる宿」は、雑草が生い茂って荒れ果てた家を指す
  • 「人こそ見えね」は、誰も訪れる人がいないという意味
  • 「秋は来にけり」は、秋が来たことに気づく感動を表す
  • 出典は『拾遺和歌集』である
  • 『拾遺和歌集』は1005年頃に成立した勅撰和歌集
  • 『拾遺和歌集』は1,351首の歌を収録している
  • 恵慶法師は播磨国の国分寺で講師を務めていた僧侶である
  • 恵慶法師は「中古三十六歌仙」の一人として知られる
  • この歌は、秋の寂しさや無常感を象徴的に表現している
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