百人一首の第51番は、平安時代の貴族であり歌人でもあった藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)が詠んだ、燃えるような恋心を表現した情熱的な和歌です。
この記事では、百人一首『51番』の原文、読み方、決まり字、現代語訳と意味について説明します。
さらに、作者、出典や語呂合わせについても詳しく解説していきます。
百人一首『51番』の和歌とは
原文
かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしもしらじな 燃ゆる思ひを
読み方・決まり字
かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを
「かく」(二字決まり)
現代語訳・意味
せめて「こんなにあなたを愛しています」とだけでも伝えられればいいのですが、私にはそれもできません。伊吹山に生える「さしも草」ほどの燃えるような思いを抱いていることを、あなたは知らないでしょう。
語句解説
かくとだに | 「かく」は「このように」の意味で、「だに」は「~すら」「~だけでも」を表す助詞です。ここでは、「こんなにも(あなたを想っている)ということさえも」というニュアンスになります。 |
---|---|
えやは | 「え」は不可能の意を表す副詞で、「やは」は反語の助詞です。「えやは~」で「言うことができないだろうか、いやできない」という意味を表しています。 |
伊吹の | 「伊吹」は滋賀県と岐阜県の県境にある「伊吹山」を指し、当時から薬草の産地として有名でした。この場合、「いふ」と「伊吹」を掛けた表現として用いられています。 |
さしも草 | 伊吹山に生える「ヨモギ」のことで、お灸に使う「もぐさ」の原料です。ここでは「燃える思い」を象徴する植物として、恋の情熱を比喩的に表現しています。 |
さしもしらじな | 「さ」は「そのように」を意味し、「し」と「も」は強意の助詞、「な」は詠嘆を表す間投助詞です。全体で「これほどまでとはご存じないでしょう」という意味になります。 |
燃ゆる思ひを | 「燃えるような思い」の意味で、「ひ」と「火」を掛けて表現しています。また、「さしも草」「燃ゆる」「火」が関連し、燃え上がる恋心を強調しています。 |
作者|藤原実方朝臣
作者名 | 藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん) |
---|---|
本名 | 藤原実方(ふじわらのさねかた) |
生没年 | 生年不詳 – 998年頃に没 |
家柄 | 平安時代中期の貴族で、藤原北家・小一条流に属する名門。太政大臣・藤原忠平を高祖父(ひいひい祖父)に持ち、当時の貴族社会で有力な家系に生まれる。 |
役職 | 左中将、右馬頭、従四位上などを歴任するも、ある事件により陸奥守として東北に左遷された。 |
業績 | 優れた和歌の才能があり、『拾遺和歌集』以降の勅撰和歌集に67首が採用されている。中古三十六歌仙の一人で、恋の歌を得意とし、宮中の文化人たちと交流を持った。 |
歌の特徴 | 恋愛をテーマにした情熱的で技巧を凝らした和歌が多い。序詞(じょことば)や掛詞(かけことば)、縁語(えんご)など、修辞表現を駆使し、心情を深く表現した歌が特徴。 |
出典|後拾遺和歌集
出典 | 後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう) |
---|---|
成立時期 | 1086年(応徳3年) |
編纂者 | 藤原通俊(ふじわらのみちとし)が中心 |
位置づけ | 八代集の4番目の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 1,218首 |
歌の特徴 | 伝統的な和歌を受け継ぎつつ新風を示し、女性歌人の作品が多く、宮廷生活を具体的に反映した詞書が特徴です。 |
収録巻 | 「恋」612番 |
語呂合わせ
かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを
「かく ししじ(書く ししし)」
百人一首『51番』の和歌の豆知識
百人一首『51番』の背景は?
平安時代の宮廷では、歌によって恋心を伝えることが一般的でした。この歌の背景には、作者が相手に対して情熱的な恋心を抱きながらも、それを伝える難しさと切なさがありました。また、この歌には「伊吹山のさしも草」という比喩が用いられ、恋の激しさを山に生える草にたとえることで表現の深みを持たせています。恋愛や恋心を技巧的に表現することが当時の貴族社会で称賛されていたため、この歌も技巧が評価され、百人一首に収められたと考えられます。
実方朝臣と清少納言のロマンス
二人は宮廷で親しく交流し、実方朝臣は和歌を通じて清少納言に思いを伝えました。彼が詠んだ情熱的な和歌は、清少納言の心にも響いたとされ、互いに歌を贈り合ったと言われています。当時の貴族たちは和歌を交わすことで気持ちを伝え、恋愛を楽しむ風習がありました。彼らの恋物語があったからこそ、51番の歌も単なる表現ではなく、リアルな感情の記録と感じられるでしょう。
宮中で伝わる実方朝臣の「怨霊伝説」
左遷先で亡くなった実方の無念が雀に宿り、毎朝宮中に現れて米を食べ尽くしたという話です。江戸時代には、画家・月岡芳年がこの伝説を「入内雀」として描きました。このような伝説が生まれたのは、実方朝臣が宮中で目立つ存在であったこと、そして左遷されるほどの事件が印象に残っていたからでしょう。
まとめ|百人一首『51番』のポイント
- 百人一首51番の作者は藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)
- 和歌の原文は「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしもしらじな 燃ゆる思ひを」
- 読み方は「かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを」
- 和歌の「かく」は二字決まりの決まり字
- 「燃ゆる思ひを」は「燃え上がる恋心」を意味する
- 「伊吹のさしも草」は恋の情熱をたとえた表現
- 現代語訳では「こんなに愛しているとさえ言えない」となる
- 「えやは」は「言うことができない」という反語表現
- この歌は恋の難しさや切なさを表現した和歌である
- 平安時代では和歌が恋の告白手段として使われた
- 作者の藤原実方は清少納言との恋でも知られる
- 宮中で目立っていた実方朝臣は、後に陸奥に左遷された
- 実方朝臣には「怨霊伝説」があり、彼の霊が雀となり現れたとされる
- 出典は『後拾遺和歌集』で、成立は1086年頃
- 編纂者は藤原通俊(ふじわらのみちとし)である
- 『後拾遺和歌集』は勅撰和歌集「八代集」の4番目にあたる
- 「かくししじ」という語呂合わせが和歌の覚え方として使われる