百人一首の第63番は、作者 左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)が禁じられた恋に対する切ない心情を詠んだ歌として知られています。
百人一首『63番』の和歌とは
原文
いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
読み方・決まり字
いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな
「いまは」(三字決まり)
現代語訳・意味
今となっては、あなたへの想いをきっぱりと諦めるしかありません。そのことだけを、人を介さずに直接伝える手段があればいいのに、と強く願っています。
背景
百人一首『63番』の和歌は、平安時代の貴族・藤原道雅が詠んだ歌です。この歌の背景には、道雅と三条院の皇女・当子内親王(とうしないしんのう)との悲しい恋物語があります。
道雅は当子内親王と密かに愛し合っていましたが、その関係が三条院に知られてしまいます。激怒した三条院は二人が会えないよう厳しい監視をつけました。道雅は直接思いを伝えることも許されず、絶望の中でこの歌を詠んだのです。当子内親王はその後出家し、若くして病死しました。一方の道雅も政治の舞台から外され、不遇な人生を送ることになります。
この歌は、身分や立場に阻まれた恋の切なさと、直接思いを伝えられない苦しさを表現しています。平安時代の貴族社会における恋愛の厳しさや悲劇を感じさせる背景があるのです。
語句解説
今はただ | 「今となってはもう」という意味。諦めの感情が込められています。 |
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思ひ絶えなむ | 「思ひ絶え」は「想いを断ち切る」「諦める」という意味。「なむ」は強意を示す助動詞で、「想いを断ち切ろう」という意志を表します。 |
とばかりを | 「~ということだけを」という意味。「と」は引用、「ばかり」は限定を表します。 |
人づてならで | 「人づて」とは「人を介して」という意味。「ならで」は打消の助詞で、「人を介さずに」という意味になります。 |
言ふよしもがな | 「よし」は「方法」「手段」の意味。「もがな」は願望を表す終助詞で、「言う方法があればいいのに」といった願いを表します。 |
作者|左京大夫道雅
作者名 | 左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ) |
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本名 | 藤原道雅(ふじわらのみちまさ) |
生没年 | 993年(正暦4年)~1054年(天喜2年) |
家柄 | 藤原北家の中関白家出身。祖父は関白・藤原道隆、父は内大臣・藤原伊周。 |
役職 | 従三位・左京大夫。政治的な役割は低い地位に留まりました。 |
業績 | 歌人として『後拾遺和歌集』をはじめ多くの勅撰和歌集に作品が採録されています。 |
歌の特徴 | 恋愛をテーマにした歌が多く、切実で情感豊かな表現が特徴。実体験をもとにした歌が多く、恋愛の苦悩や悲哀を詠むことに長けていました。 |
出典|後拾遺和歌集
出典 | 後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう) |
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成立時期 | 1086年(応徳3年) |
編纂者 | 藤原通俊(ふじわらのみちとし)が中心 |
位置づけ | 八代集の4番目の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 1,218首 |
歌の特徴 | 伝統的な和歌を受け継ぎつつ新風を示し、女性歌人の作品が多く、宮廷生活を具体的に反映した詞書が特徴です。 |
収録巻 | 「恋」750番 |
語呂合わせ
いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな
「いまは なよな(今はなよなよ)」
百人一首『63番』の和歌の豆知識
禁じられた恋の切なさ
当子内親王は伊勢神宮の斎宮(いつきのみや)として神に仕えていましたが、都に戻った後、道雅と恋仲になりました。しかし、この恋は当時の社会的立場や父・三条院の反対によって引き裂かれてしまいます。
特に貴族社会では、身分や役職が恋愛にも大きな影響を与えることが多く、自由な恋愛は難しいものでした。この歌は、道雅が直接会うことすら許されない状況の中で、せめて直接思いを伝えたいという切実な願いが込められています。歴史に残る悲恋の一つとして、多くの人々の心を打つ歌です。
百人一首『63番』の心情とは?
道雅は愛する人に会えなくなり、直接気持ちを伝える手段も失いました。「想いを諦めるしかない」という結論に達しているものの、それでも「せめて直接会って伝えたい」と願う未練が表れています。
愛する人への想いを抱えながらも、それを断ち切らざるを得ない葛藤が、言葉の一つひとつに込められています。この切実な心情は、時代を超えて共感を呼ぶものです。
道雅の異名「悪三位」の由来
これは道雅が乱暴や不行跡を繰り返したという噂が原因ですが、その背景には失恋や政治的挫折が影響していると考えられています。父親が失脚し、自身も恋愛事件で天皇から冷遇されるようになったことで、道雅の人生は大きく狂ってしまいました。愛する人との別れや周囲からの批判が重なり、道雅は次第に自暴自棄になってしまったのでしょう。
「悪三位」という呼び名の裏には、ただの乱暴者ではなく、心に深い傷を負った一人の男性の姿が隠されているのです。この歌には、そんな道雅の悲しみや後悔がにじみ出ています。
まとめ|百人一首『63番』のポイント
- 百人一首『63番』は藤原道雅による切ない恋の和歌である
- 和歌の原文は「いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな」
- 現代語訳は「想いを断ち切るしかない、直接伝える方法が欲しい」といった意味である
- 決まり字は「いまは」で三字決まりに分類される
- 和歌のテーマは禁じられた恋愛とその諦めである
- 語句の「思ひ絶えなむ」は諦める意思を強調する表現である
- 「人づてならで」は直接伝えたいという願望を表している
- 作者の藤原道雅は平安時代中期の歌人である
- 藤原道雅は「悪三位」とも呼ばれる異名を持つ
- 出典は勅撰和歌集の『後拾遺和歌集』である
- 後拾遺和歌集は1,218首の和歌を収めている
- この歌は『後拾遺和歌集』の「恋」部門の750番に掲載されている
- 作者は伊勢神宮斎宮の元皇女との恋愛が禁じられていた
- この歌に詠まれた恋は三条院による反対で引き裂かれた
- 和歌に込められた心情は諦めと未練が混ざり合ったものである
- 和歌の背景には平安時代の厳しい身分制度がある
- 語呂合わせの覚え方は「いまは なよな(今はなよなよ)」が使いやすい