百人一首の第68番は、作者三条院(さんじょういん)が詠んだ、権力闘争や病気に苦しむ心情を繊細に表現した歌として知られています。
百人一首『68番』の和歌とは
原文
心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
読み方・決まり字
こころにも あらでうきよに ながらへば こひしかるべき よはのつきかな
「こころに」(四字決まり)
現代語訳・意味
心ならずも、このつらい現世に生きながらえていたなら、きっと恋しく思い出されるに違いない、この夜更けの月であるなあ。
背景
百人一首68番の歌は、三条院が退位を決意する直前に詠んだ和歌です。
三条院は眼の病気が悪化し、ほとんど視力を失っていました。しかし、真の理由は藤原道長の政治的圧力により退位を余儀なくされたことです。道長は自分の孫を天皇に即位させ、政治の実権を握ることを目指していました。このような状況の中、三条院は心身ともに疲れ果て、静かに月を眺めながら自らの運命を嘆きました。
この歌には、現世への絶望感と、今見ている夜半の月への深い愛惜の念が込められています。まさに、権力争いに翻弄された一人の天皇の切ない心情が映し出された一首です。
語句解説
心にもあらで | 「心ならずも」「本意ではなく」という意味です。断定の助動詞「なり」の連体形「に」と打消の接続助詞「で」が組み合わさり、「自分の本心ではない」という心情を表します。 |
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うき世 | 「つらい現世」「苦しいこの世」を指します。現世の無常さや苦しさを表す表現で、平安時代にはよく用いられた言葉です。 |
ながらへば | 「生きながらえているならば」という仮定の表現です。動詞「ながらふ」(生き長らえる)の未然形に、仮定条件を表す接続助詞「ば」が付いています。 |
恋しかるべき | 「恋しく思うに違いない」「懐かしくなるはずだ」という意味です。助動詞「べし」の連体形で、推量や当然の意味を持ちます。「夜半の月」にかかる言葉です。 |
夜半の月かな | 「夜更けの月であるなあ」という詠嘆の表現です。夜半(よは)」は夜中や夜更けのことを指し、終助詞「かな」によって感嘆の気持ちが表現されています。 |
作者|三条院
作者名 | 三条院(さんじょういん) |
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本名 | 居貞(いやさだ) |
生没年 | 976年(貞元2年)〜1017年(寛仁元年) |
家柄 | 第67代天皇、冷泉天皇の第二皇子。藤原氏の血を引く名門家系。 |
役職 | 皇太子(986年に即位)、第67代天皇(1011年〜1016年)、その後は上皇(太上天皇)。 |
業績 | 特に政治的な成果を挙げることは難しかったが、在位中に文芸や宮廷文化の影響を残す。 |
歌の特徴 | 心情を素直に詠み込む繊細な表現が特徴。自らの苦難や悲哀を静かに述べる歌が多い。 |
出典|後拾遺和歌集
出典 | 後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう) |
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成立時期 | 1086年(応徳3年) |
編纂者 | 藤原通俊(ふじわらのみちとし)が中心 |
位置づけ | 八代集の4番目の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 1,218首 |
歌の特徴 | 伝統的な和歌を受け継ぎつつ新風を示し、女性歌人の作品が多く、宮廷生活を具体的に反映した詞書が特徴です。 |
収録巻 | 「雑」860番 |
語呂合わせ
こころにも あらでうきよに ながらへば こひしかるべき よはのつきかな
「こころに こひし(心にコーヒー死)」
百人一首『68番』の和歌の豆知識
三条院の「苦難の生涯」
即位後も病気に悩まされ、眼の病で視力を失いかけ、政治の主導権も藤原道長に奪われていきました。さらに在位中には2度も宮中が火事に見舞われるなど、不運が重なります。
これらの苦難が積み重なり、ついには退位を余儀なくされました。この歌には、三条院の生涯に降りかかった苦しみや孤独、そして静かに月を眺める中での儚い想いが込められています。
「心にもあらでうきよにながらへば」の意味とは?
この部分では、作者の三条院が置かれた厳しい状況が詠まれています。「心にもあらで」とは「本意ではない」「自分の望むところではない」という気持ちを表しており、続く「うきよ」では「苦しみの多い現世」を意味しています。
そして、「ながらへば」で「生きながらえているならば」という仮定が加わり、苦しい現実に耐えながら生きることへの不満と絶望が込められています。この表現により、作者の深い悲しみと、現実への諦めが伝わってきます。
「恋しかるべき」の意味とは?
この歌の中では、未来の自分が今夜見た美しい月を懐かしむだろうという予測を表しています。「べき」は推量を示す助動詞「べし」の連体形で、「当然そうなるだろう」というニュアンスを持ちます。
具体的には、三条院が今のつらい現実の中でも美しい月を見つめ、将来これを思い返して心に残る瞬間だと感じていることを表現しています。このフレーズには、苦しい状況にあっても美しいものへの感動を忘れない作者の繊細な心情が感じられます。
なぜ「月」だったのか?
特に夜半の月は、静寂と孤独を象徴し、物思いにふける時間にふさわしい景色とされていました。三条院もまた、退位を目前に控えた夜、宮中から月を見つめながら自らの運命や心の内を月に重ねたのでしょう。視力がほとんど失われた中でも、月の光は彼の心に届き、せめてその美しさだけは感じ取ることができたのかもしれません。
この歌には、月を通して語られる三条院の静かな悲しみが込められています。
まとめ|百人一首『68番』のポイント
- 百人一首『68番』は三条院が詠んだ和歌である
- 原文は「心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな」
- 現代語訳は「本意ではないが、このつらい現世を生きながらえたなら夜半の月を恋しく思うだろう」
- 「こころに」の四字決まり
- 「うき世」はつらい現世を表す平安時代特有の表現である
- 「ながらへば」は「生きながらえるならば」という仮定の意味
- 「恋しかるべき」は「きっと恋しく思うだろう」という未来予測を表す
- 月は平安時代における自然美の象徴として詠まれている
- この歌には平安時代特有の無常感が込められている
- 三条院は冷泉天皇の第二皇子で、第67代天皇であった
- 出典は勅撰和歌集「後拾遺和歌集」である
- 「後拾遺和歌集」は八代集の4番目にあたる勅撰和歌集である
- 出典内では「雑」部門の860番に収録されている
- 覚え方として「こころに こひし(心にコーヒー死)」の語呂合わせがある
- 歌の構成は繊細な表現が特徴で作者の苦悩が反映されている
- 歌の背景には三条院が退位を迫られた政治的圧力がある
- 病気による視力低下も歌の心情に影響を与えた
- 藤原道長の圧力や病気の中で詠まれた貴重な一首である