百人一首の第80番は、待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)が詠んだ、恋の切なさや女性の心の揺れを美しく表現した歌として知られています。
百人一首『80番』の和歌とは
原文
長からむ 心もしらず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ
読み方・決まり字
ながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ
「ながか」(三字決まり)
現代語訳・意味
あなたの心が末永く変わらないということは信じがたく、お別れした今朝の私は、寝乱れた黒髪のように心も乱れ、いろいろな思いに沈んでいます。
背景
百人一首『80番』の歌は、平安時代後期の貴族社会における恋愛文化を背景に詠まれました。当時、男性が夜に女性のもとを訪れ、翌朝別れる際に「後朝(きぬぎぬ)の歌」を贈る習慣がありました。
この歌は、その翌朝に詠まれた女性側の返歌という形を取っています。作者である待賢門院堀河は宮中で仕えながら、繊細な恋心や女性特有の不安な気持ちを美しい言葉で表現しました。「黒髪の乱れ」に象徴される情景は、心の乱れを巧みに重ね合わせ、平安女性の切なさや愛情が深く描かれています。
この歌は恋愛文化だけでなく、当時の宮廷生活や人々の感情表現を知る手がかりともなっています。
語句解説
長からむ(ながからむ) | 「末永く変わらない」という意味。「む」は推量の助動詞で、「長く変わらないだろう」というニュアンスを含む。 |
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心もしらず(こころもしらず) | 「(相手の)心がどうなのか分からない」という意味。「知らず」は打消しの助動詞「ず」の連用形で、「はかりかねて」のニュアンスを含む。 |
黒髪の(くろかみの) | 「黒髪」は女性の美しさの象徴として使われる言葉。「の」は格助詞で、「黒髪が乱れる様子」を導く役割をする。 |
乱れて(みだれて) | 「髪が乱れる」という物理的な意味と、「心が乱れる」という心理的な意味の両方を表す。 |
今朝は(けさは) | 男女が共に過ごした翌朝、「後朝(きぬぎぬ)」を意味する。「は」は係助詞で、この日の朝が特別であることを強調する。 |
物をこそ思へ(ものをこそおもへ) | 「物を思ふ」は「思い悩む」「心を痛める」という意味。「こそ~思へ」で強調の係り結びとなり、「物思いにふける」という気持ちが強調されている。 |
作者|待賢門院堀河
作者名 | 待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ) |
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本名 | 不詳 |
生没年 | 不詳(12世紀ごろに活躍) |
家柄 | 父は神祇伯・源顕仲(みなもとのあきなか)。高貴な家柄に生まれた。 |
役職 | 崇徳天皇の生母である待賢門院(鳥羽天皇の皇后・藤原璋子)に仕えた女房(宮中に仕える女性)。 |
業績 | 平安時代後期の代表的な歌人の一人。『千載和歌集』や『久安百首』などに作品が収録されている。 |
歌の特徴 | 繊細な恋心や女性の不安定な心情を、美しい比喩と豊かな表現力で詠む。特に「黒髪の乱れ」に象徴される情景描写が巧みで、平安時代の恋歌を代表する一人として評価される。 |
出典|千載和歌集
出典 | 千載和歌集(せんざいわかしゅう) |
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成立時期 | 1188年(文治4年) |
編纂者 | 藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい) |
位置づけ | 八代集の7番目の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 1,288首 |
歌の特徴 | 平安末期の幽玄で温雅な歌風を特徴とし、新奇を抑えた調和の美を追求。釈教や神祇に特化した巻があり、雑歌には長歌や旋頭歌も収録。 |
収録巻 | 「恋三」802番 |
語呂合わせ
ながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ
「ながか みだれて(長髪乱れて)」
百人一首『80番』の和歌の豆知識
平安時代の恋愛ルール?「後朝(きぬぎぬ)の歌」とは
「後朝」とは、男女が一夜を共に過ごした翌朝、男性が帰る際に贈る和歌のことです。そして、その歌に対する女性側の返歌が詠まれることで、恋のやりとりが完成します。
この風習は、平安時代の恋愛が手紙や和歌による繊細なコミュニケーションを大切にしていたことを示しています。待賢門院堀河のこの歌も、まさに「後朝の歌」の一つであり、女性の不安や切なさを言葉巧みに表現した返歌の好例と言えるでしょう。
「長からむ心もしらず黒髪の」とはどういう意味ですか?
「長からむ」は「末永く変わらない」という推測や願いを表し、「心もしらず」は「相手の気持ちが本当かどうかわからない」という不安な心情を示しています。
また、「黒髪の」は、平安時代に女性の美しさや色気を象徴するものであり、次の「乱れて」とつながり、髪の乱れと心の乱れを重ね合わせた表現です。この一節には、昨夜の愛の言葉が本物かどうかをはかりかねる女性の繊細な気持ちや、別れた後の心の揺れ動きが見事に描かれています。
待賢門院堀河の人生
彼女は、崇徳天皇の生母である待賢門院(藤原璋子)に仕えました。しかし、保元の乱が起きると、崇徳天皇は流罪となり、待賢門院と共に堀河も宮廷を離れざるを得なくなります。
その後、堀河は出家し、仁和寺で余生を過ごしました。そんな波乱の人生の中でも、彼女の歌は人々に深い共感を与え続けました。特にこの歌は、彼女の優れた表現力と繊細な感受性が光る名歌として、後世に語り継がれています。
まとめ|百人一首『80番』のポイント
- 百人一首『80番』の歌は待賢門院堀河が詠んだ
- 原文は「長からむ 心もしらず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ」
- 読み方は「ながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ」
- 決まり字は「ながか」(三字決まり)
- 現代語訳では女性の不安や切なさを表現
- 背景には平安時代の「後朝(きぬぎぬ)の歌」がある
- 黒髪は美しさと心の乱れを象徴する
- 作者は宮中で仕えた待賢門院堀河
- 家柄は神祇伯・源顕仲の娘として高貴な家系
- 出典は『千載和歌集』恋三・802番に収録
- 『千載和歌集』は藤原俊成が編纂した
- 『千載和歌集』の成立時期は1188年(文治4年)
- 恋愛文化と女性の心情が巧みに表現されている
- 平安時代の恋愛文化を知る手がかりとなる
- 作者は出家後、仁和寺で余生を過ごした
- 和歌には繊細な心理描写が込められている