百人一首『46番』由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな(曽禰好忠)

当ページのリンクには広告が含まれています。

百人一首の第46番は、作者 曽禰好忠(そねのよしただ)が詠んだ、恋愛の不安定さや迷いを巧みに表現した歌として知られています。

百人一首『46番』の和歌とは

原文

由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな

読み方・決まり字

ゆらのとを わたるふなびと かぢをたえ ゆくへもしらぬ こいのみちかな

「ゆら」(二字決まり)

現代語訳・意味

由良川の河口を漕いで渡っている船頭が、櫂(かい)をなくしてしまい、どこへ進んでいくのか分からずに漂うように、私の恋もどこへ行くのか分からない状態です。

背景

百人一首46番の歌は、平安時代中期の歌人・曽禰好忠(そねのよしただ)によって詠まれました。

彼は丹後国(現在の京都府北部)で長く役人を務め、その地に流れる由良川の河口を舞台にしています。由良川の河口は潮の流れが速く、船を操るのが難しい場所でした。その情景を、自分の恋の行く末が見えず、不安定である心情と重ね合わせています。

また、曽禰好忠は型破りな性格で、当時の貴族社会では異端視されることもありましたが、その独特な表現力は和歌の世界で高く評価されました。この歌は彼の感性と自然描写が巧みに融合した一首です。

語句解説

由良の門(ゆらのと)由良川の河口のことを指します。京都府宮津市を流れる由良川が海に出る場所で、潮の流れが速いことで知られています。川と海が交わる地点を「門」と表現しています。
舟人(ふなびと)船を操る船頭や漕ぎ手のことです。この歌では、恋の行方を模索する自分自身が船頭に例えられています。
かぢをたえ「かぢ」は、船を漕ぐための道具、具体的には櫂(かい)や櫓(ろ)を指します。「たえ」は「絶ゆ」の連用形で、「なくなる」という意味です。つまり、船を漕ぐための櫂を失ってしまった状態を表します。
行くへも知らぬ(ゆくへもしらぬ)「行く末が分からない」という意味です。船がどこへ進むのか分からないという状況が、恋愛の行く先が見えない心情と重ねられています。
恋の道かな(こいのみちかな)これからどうなるのか分からない恋の行方を「道」にたとえた表現です。「道」は比喩的に、人生や感情の進みゆく方向を示します。

作者|曽禰好忠

作者名曽禰好忠(そねのよしただ)
本名同上
生没年生没年不詳
家柄下級貴族の出身。詳しい家柄は不明ですが、平安時代中期の人物で、あまり高い地位にはなかったとされています。
役職丹後掾(たんごのじょう)という地方役人。京都府の北部、丹後地方の官職を務めていたことから「曽丹(そたん)」「曽丹後(そたんご)」とも呼ばれていました。
業績平安時代に多くの和歌を詠んだ人物です。特に百首単位で詠む「百首歌」の先駆者として知られ、歌の表現方法を大いに広げました。
歌の特徴万葉集の古語を積極的に取り入れた斬新な作風。縁語や序詞を駆使し、技巧的で知的な和歌を詠んだ。

出典|新古今和歌集

出典新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)
成立時期1205年(元久2年)
編纂者藤原定家(ふじわらのていか)、藤原家隆(ふじわらのいえたか)、源通具(みなもとのみちとも)などの歌人
位置づけ八代集の8番目の勅撰和歌集
収録歌数約1,980首
歌の特徴情調的で象徴的な表現が特徴で、余情や幽玄を重んじた繊細な歌風を持つ。初句切れや三句切れ、体言止めなどの技巧を多用し、貴族の失望感や虚無感を反映。
収録巻「恋」1071番

語呂合わせ

ゆらのとを わたるふなびと かぢをたえ くへもしぬ こいのみちかな

ゆら ゆら

百人一首『46番』の和歌の豆知識

百人一首『46番』の縁語は?

百人一首『46番』に詠まれている歌は、曽禰好忠が詠んだもので、縁語が含まれています。

縁語とは、特定の言葉に関連する他の言葉を重ねて、表現に深みを持たせる技法です。この歌では、「由良の門」「渡る舟」「沈む」という言葉が使われています。これらは全て「海」を連想させる言葉であり、恋愛の苦しさや行き場のなさを「舟」の動きや「海」にたとえたものです。恋の進まない状況が縁語によって巧みに表現されています。

「由良の門を渡る舟人」の場所は?

「由良の戸」とは、京都府北部に位置する由良川の河口を指します。

この場所は川と海が交わる地点で、潮の流れが速く複雑なことで知られています。船を操る船頭にとっては非常に難しい場所で、櫂を失うと方向を定めることができず、ただ流されるしかありません。

歌の作者である曽禰好忠は、丹後の役人としてこの地に長く滞在し、その風景を日常的に見ていたと考えられます。彼はこの由良川の情景を、自分の恋の行方がわからず漂う様子に重ね合わせて詠みました。このように、由良川の特性が歌の情景描写に深く結びついています。

「恋の道かな」とはどういう意味ですか?

「恋の道かな」という表現は、恋愛の困難さや険しい道のりをたとえて使われる言葉です。

百人一首の歌においては、恋愛が単純ではなく、苦しいものであることを「道」にたとえています。道は、曲がりくねっていたり、行き先が不確かだったりすることから、恋の進展が思い通りにいかない様子を表しています。特に古典では、恋愛における心の揺れや障害が「道」として描かれることが多く、この表現もその一例です。

まとめ|百人一首『46番』のポイント

この記事のおさらい
  • 百人一首『46番』の作者は曽禰好忠である
  • 曽禰好忠は平安時代中期の下級貴族出身である
  • 和歌のテーマは恋愛の苦しさや不安定さである
  • 由良の門(由良川の河口)が歌の象徴的な場所となっている
  • 「ゆらのとを」は二字決まりである
  • 「かぢをたえ」は船の櫂(かい)を失うことを意味している
  • 「行くへも知らぬ」は恋の行き先が分からない状態を表している
  • 由良の海峡は潮流が激しく、船を操るのが困難であった
  • 作者は「恋の道」を舟人(ふなびと)に例えている
  • 曽禰好忠は百首単位で歌を詠む「百首歌」の先駆者である
  • この歌は『新古今和歌集』に収められている
  • 『新古今和歌集』は1205年に成立した勅撰和歌集である
  • 「由良の門」「舟」「かぢ」などは縁語として用いられている
  • 由良の海峡の激しい潮流が、恋愛の困難さを象徴している
  • 歌の覚え方は「ゆら ゆら」で覚えやすい
  • この歌は恋の行方が見えない状況を象徴的に描いている
  • 曽禰好忠の歌は万葉集の古語を取り入れた斬新な作風が特徴である
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!