百人一首『17番』ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

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百人一首の第17番は、平安時代を代表する歌人、在原業平朝臣によって詠まれた歌で、日本の古典文学における自然美と神秘を見事に描き出した作品として知られています。

この記事では、詩の原文とその読み方、決まり字を詳しく説明し、現代語訳とその意味を分かりやすく解説します。

また、詩の背景や在原業平の人物像、そしてこの作品が収録されている『古今和歌集』についても詳しく探ります。

屏風歌としての特性を持つこの歌を通じて、在原業平が描いた秋の自然の美しさと彼の豊かな想像力を、ぜひご堪能ください。

目次

百人一首『17番』の和歌とは

原文

ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

読み方・決まり字

ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれないに みずくくるとは
※「ちは」(二字決まり)

現代語訳・意味

遠い昔の神々の時代でも、こんなことは聞いたことがない。竜田川が紅葉で水を真っ赤に染めているとは

解説

百人一首の17番目の歌には、いくつかの特徴的な表現技法が使われています。

この歌を理解するために重要なポイントを解説します。

枕詞と擬人法の使用
まず、枕詞「ちはやぶる」があります。これは「神」にかかる言葉で、神の力強さや畏怖を表しています。この表現によって、詠み手は神々の時代を思い起こさせるとともに、その時代の神秘性を強調しています。次に擬人法が使われています。竜田川が紅葉をまるで人が染め物をするかのように「水をくくる」と表現しています。これにより、川が紅葉を織り込むように流れていく様子を生き生きと感じさせます。

倒置法の効果
また、倒置法が用いられています。「神代も聞かず」と始まることで、読者はこの後に続く珍しい現象に注意を向けるようになります。この手法により、川の美しさがより印象的に伝わります。

歌の背景と作者について
この歌は、実際の景色を見て詠んだのではなく、屏風に描かれた絵を題材に詠んだとされています。作者の在原業平朝臣は、平安時代を代表する歌人であり、その自由奔放な性格と美しい容姿で知られていました。この歌を通して、業平の豊かな想像力と詩的表現力が感じられます。

このように、百人一首17番は自然の美しさとその神秘を伝えると同時に、詩の技法が巧みに使われた作品です。初めて読む人にとっても、その魅力を楽しむことができるでしょう。

作者|在原業平朝臣

百人一首の17番を詠んだのは、在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)です。

在原業平は平安時代の歌人で、六歌仙や三十六歌仙の一人としても有名です。これらは、当時の優れた歌人を選んでまとめたグループであり、在原業平はその中心的人物の一人でした。

在原業平の背景と性格
在原業平は、平城天皇の孫として生まれました。皇族に近い身分でありながら、自由奔放で情熱的な性格が知られていました。彼はその美しい容姿と詩的な才能で多くの人を魅了しました。また、恋多き人物としても有名で、多くの恋愛のエピソードが伝えられています。例えば、在原業平は絶世の美女とされた小野小町と恋人だったという説もあります。

伊勢物語の主人公モデル
在原業平は『伊勢物語』の主人公のモデルとされることが多くあります。この物語は彼の恋愛や冒険を題材にした短編の集まりで、彼の情熱的な人生が色濃く描かれています。歌人としての業平の魅力は、こうした人生経験から培われた独自の感性にあると言えます。

このように、在原業平はその自由な生き方と豊かな表現力で、平安時代を代表する歌人として今も語り継がれています。

出典|古今和歌集

百人一首の17番の歌の出典は『古今和歌集(こきんわかしゅう)』です。

この歌集は、平安時代前期に成立した最初の勅撰和歌集で、醍醐天皇の命によって編纂されました。『古今和歌集』には、当時の歌人たちの作品が多く収録されており、平安時代の和歌文化を知る上で非常に重要な資料となっています。

『古今和歌集』の特徴と位置づけ
『古今和歌集』は、20巻から構成されており、四季や恋愛、旅、哀傷などさまざまなテーマに分けて和歌が分類されています。この和歌集の特徴は、繊細な感情表現と洗練された技法にあります。特に、自然の美しさや人間の感情を表現するために、多様な技法が用いられています。

在原業平の歌の掲載
在原業平のこの歌は、『古今和歌集』の「秋の部」に収められています。このことからも、彼の歌が秋の自然の美しさを巧みに描いていることがわかります。また、在原業平の歌は、単に自然を詠むだけでなく、その背後にある感情や思想をも表現することで、高い評価を得ています。

『古今和歌集』に収められた在原業平の歌は、平安時代の和歌の美しさを現代に伝える貴重な作品であり、彼の表現力を知るための重要な鍵となっています。このように、『古今和歌集』は、日本の和歌文化を知る上で欠かせない存在です。

百人一首『17番』の和歌の豆知識

「ちはやぶる」の意味とは

「ちはやぶる」は、古語であり、主に和歌や詩で使われる枕詞(まくらことば)です。

この言葉は、神や神々に関連付けられ、力強さや偉大さを表現するために用いられます。

言葉の成り立ちと役割
「ちはやぶる」は「千早ぶる」とも書かれ、「千」と「早」が組み合わさって、非常に強い力を持つことを意味します。この言葉は、神や神話的な存在を表す際に使われ、読者に神聖さや力強さを感じさせます。

具体的な使われ方
百人一首の17番の歌では、「ちはやぶる」が「神代(かみよ)」にかかっています。これにより、神々の時代でも聞いたことがないほどの珍しさや神秘性を強調しています。このように、「ちはやぶる」は詩の中で重要な役割を果たし、言葉の響きによって感情を高める効果があります。

「ちはやぶる」という言葉は、古代の詩的表現を理解する上で欠かせない要素であり、言葉そのものが持つ力を感じさせる重要な部分です。

「からくれなゐ」に込められた色彩

「からくれなゐ」は、古くから日本の和歌や文学で用いられる言葉で、鮮やかな紅色を指します。

この色彩は、詩的な表現に豊かなイメージを与えます。

言葉の由来と意味
「からくれなゐ」は、「韓(から)」や「唐(から)」といった異国を意味する言葉と、「くれなゐ」(紅)を組み合わせたものです。このことから、異国情緒あふれる高貴な色として位置づけられてきました。特に平安時代の文化では、この色が洗練された美しさを象徴しています。

歌における役割と効果
百人一首の17番の歌では、竜田川の水が紅葉によって「からくれなゐ」に染まる様子が描かれています。この表現により、秋の風景が鮮やかに浮かび上がり、読者の想像力を掻き立てます。鮮烈な赤色は視覚的なインパクトを与え、自然の美しさと儚さを感じさせます。

「からくれなゐ」に込められた色彩は、古代から人々の心を捉え、詩や歌においてその美しさを際立たせるために重要な役割を果たしてきました。

竜田川とはどのような場所か

竜田川(たつたがわ)は、奈良県にある美しい川で、特に紅葉の名所として知られています。

この川は古くから和歌や詩に詠まれ、多くの人々に愛されてきました。

竜田川の地理と歴史
竜田川は奈良県生駒郡を流れています。この地域は古くから日本の歴史や文化に深く関わってきました。竜田川周辺には、竜田山や法隆寺といった歴史的な名所も点在しています。特に秋になると、竜田川の両岸は鮮やかな紅葉に包まれ、その美しさは多くの訪問者を魅了します。

和歌における竜田川
竜田川は、その美しい紅葉の風景が多くの和歌に詠まれています。平安時代の歌人たちは、この川を紅葉の美しさを表現する象徴として用いました。例えば、百人一首の17番に詠まれているように、竜田川の水が紅葉で赤く染まる様子は、絵画的な美しさとして多くの詩人の心を捉えました。

竜田川はその自然の美しさだけでなく、長い歴史と文化を持つ特別な場所です。訪れる人々は、そこで感じる自然の豊かさと歴史の重みを楽しむことができます。

在原業平の恋愛エピソード

在原業平(ありわらのなりひら)は、平安時代を代表する美男子であり、恋多き人物として知られています。

彼の恋愛エピソードは、当時の貴族社会でも注目を集め、多くの物語や伝説に取り上げられています。

恋愛エピソードの紹介
在原業平の最も有名な恋愛エピソードは、二条の后(にじょうのきさき)こと藤原高子(ふじわらのたかいこ)との関係です。藤原高子は、清和天皇の女御であり、非常に高貴な身分の女性でした。しかし、業平と高子は恋愛関係にあり、その愛は許されないものでした。この禁じられた恋を乗り越えようと、業平は高子と駆け落ちを試みましたが、途中で失敗し、高子は宮廷に連れ戻されたと伝えられています。この話は『伊勢物語』にも描かれており、業平の情熱的な性格をよく表しています。

業平の影響力
業平は小野小町(おののこまち)とも恋愛関係にあったとされています。小野小町は絶世の美女と称され、多くの歌人に影響を与えた女性です。このように、在原業平は数多くの女性と関係を持ち、彼の恋愛模様は、当時の貴族文化や文学に大きな影響を与えました。業平の恋愛エピソードは、ただの恋物語ではなく、彼の詩的表現の源泉ともなり、彼の和歌には恋愛に対する深い感情が込められています。

在原業平の恋愛は、単なる情熱の物語ではなく、平安時代の文化や社会を理解する上で重要な要素となっています。彼の人生と恋愛の複雑さが、後の文学に多大な影響を与えたことは間違いありません。

屏風歌としての特性

屏風歌(びょうぶうた)は、屏風に描かれた絵に和歌を添えたもので、平安時代において芸術的な表現の一形態として流行しました。

このスタイルは、視覚と文字の美しさを融合させ、より豊かな表現を生み出すことを目的としています。

屏風歌の歴史と意義
屏風歌は9世紀末から始まり、10世紀には貴族の間で広く親しまれるようになりました。屏風自体が当時の貴族社会で重要な装飾品であり、そこに詠まれる和歌は絵と一緒に芸術作品として評価されました。屏風歌は、絵と和歌が互いに補完し合い、鑑賞する者に多様な解釈を提供します。このため、単なる詩としてだけでなく、文化的な意味合いを持ちます。

在原業平の和歌
在原業平の百人一首17番の歌も、屏風に描かれた絵に合わせて詠まれたとされています。この歌では、竜田川の紅葉の美しさを詠み、それが屏風に描かれた絵と相まって、観る者の想像をかきたてる役割を果たしました。屏風歌としての特性は、視覚と詩が一体となり、独特の情感や風景を表現するところにあります。

屏風歌は、和歌の伝統における重要な形式であり、平安時代の文化や美意識を理解する上で欠かせない要素です。絵と詩が共鳴することで、より深い感動を引き起こすことができるこのスタイルは、古代から現代に至るまで、日本の芸術において特別な位置を占めています。

まとめ|百人一首『17番』のポイント

この記事のおさらい
  • 百人一首の17番は在原業平朝臣によって詠まれた歌である
  • 原文は「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」である
  • 読み方は「ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは」である
  • 現代語訳は「神々の時代でも、竜田川が紅葉で水を赤く染めるとは聞いたことがない」である
  • 「ちはやぶる」は枕詞で、神の力強さを表す
  • 擬人法が使われ、竜田川が水を染める様子が描かれている
  • 倒置法により、珍しい現象が強調されている
  • この歌は実際の景色ではなく、屏風に描かれた絵を題材にしている
  • 在原業平は六歌仙や三十六歌仙の一人として有名である
  • 在原業平は自由奔放で情熱的な性格であった
  • 『伊勢物語』の主人公のモデルは在原業平である
  • この歌の出典は『古今和歌集』である
  • 『古今和歌集』は平安時代前期に成立した勅撰和歌集である
  • 「からくれなゐ」は異国情緒あふれる高貴な紅色を指す
  • 竜田川は奈良県を流れる紅葉の名所である
  • 屏風歌は絵と和歌が補完し合う芸術形式である
  • 在原業平は多くの恋愛エピソードを持つ
  • 在原業平の恋愛は文学に大きな影響を与えた
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