百人一首の第77番は、作者崇徳院(すとくいん)が詠んだ、切実な想いと強い決意が込められた歌として知られています。
百人一首『77番』の和歌とは

原文
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
読み方・決まり字
せをはやみ いわにせかるる たきがわの われてもすゑに あはむとぞおもふ
「せ」(一字決まり)
現代語訳・意味
川の流れが速いために、岩にせき止められた滝川は一度二つに分かれてしまう。しかし、その流れは再び一つに合流するように、たとえ今は愛しい人と別れていても、将来必ず再会できると信じている。

背景
百人一首『77番』の歌は、崇徳院が詠んだものです。この歌が生まれた背景には、崇徳院の人生そのものが大きく関わっています。崇徳院はわずか5歳で天皇に即位し、22歳で譲位を余儀なくされました。その後、後白河天皇との対立が保元の乱へと発展し、敗れた崇徳院は讃岐(現在の香川県)へ流されました。
この歌は、そうした絶望的な状況の中で詠まれたとされ、単なる恋の歌ではなく、政治的な意味合いや無念の気持ちも含まれていると解釈されています。流れが分かれても再び合流する川の様子に、自らの希望や再起の願いを重ねて詠まれた、切実で力強い一首です。
語句解説
瀬をはやみ(せをはやみ) | 「瀬」は川底が浅く、水の流れが速い場所を意味します。ここでは「川の流れが速いので」という意味になります。 |
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岩にせかるる(いわにせかるる) | 「せかるる」は「堰き止められる」という意味です。岩によって川の流れが一時的にせき止められる様子を表しています。 |
滝川(たきがわ) | 激しい流れの川、急流を意味します。現代の「滝」に近い意味合いですが、ここでは流れの激しさに重点が置かれています。 |
われても(われても) | 「われ」は「割れる」という意味で、水の流れが二つに分かれる様子を表します。「ても」は逆接の仮定で「たとえ〜しても」という意味です。 |
末に(すえに) | 「末」は未来や将来を指します。ここでは「最後には」「いずれは」という意味になります。 |
あはむ(あはむ) | 「あはむ」は「合う」と「逢う」の意味が掛けられています(掛詞)。「合う」は水の流れが再び一つになることを意味し、「逢う」は人が再会することを意味します。 |
ぞ | 強意の係助詞です。詠嘆や強い意志を表現し、「必ず〜だ」という気持ちを強調します。 |
思ふ(おもふ) | 「思ふ」は「願う」「強く心に思い描く」という意味です。ここでは「必ず再会したい」と強く願う気持ちを表現しています。 |
作者|崇徳院

作者名 | 崇徳院(すとくいん) |
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本名 | 顕仁(あきひと) |
生没年 | 1119年(元永2年)~1164年(長寛2年) |
家柄 | 第75代天皇(鳥羽天皇の第一皇子) |
役職 | 天皇(在位:1123年(保安4年)~1142年(永治元年)) |
業績 | 藤原顕輔に『詞花和歌集』の編纂を命じる。保元の乱で敗れ、讃岐に配流される。 |
歌の特徴 | 自然の風景や現実の状況に恋心や感情を重ね合わせる。強い情熱や切実な想いが込められた歌が多い。 |
出典|詞花和歌集
出典 | 詞花和歌集(しかわかしゅう) |
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成立時期 | 1151年(仁平元年) |
編纂者 | 藤原顕輔(ふじわらのあきすけ) |
位置づけ | 八代集の6番目の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 409首 |
歌の特徴 | 保守と革新の調和を目指し、前代の曾禰好忠や和泉式部の歌や、当代の大江匡房や崇徳院の歌が多く収録されています。藤原顕輔が編集し、好忠の「戯れ歌」を重視しています。 |
収録巻 | 「恋」228番 |
語呂合わせ
せをはやみ いわにせかるる たきがわの われてもすゑに あはむとぞおもふ
「せ ゑ(せみのせ)」
百人一首『77番』の和歌の豆知識

「瀬をはやみ」とはどういう意味ですか?
「瀬」は、川底が浅く水の流れが速い場所を指します。「~を+形容詞の語幹+み」という形は、「~が~なので」という理由を表します。この部分では、川の急流が岩にせき止められ、二つに分かれてしまう様子が描かれています。
しかし、これは単なる自然描写ではなく、愛しい人や大切なものと別れても、将来必ず再会することへの強い意志が込められています。自然の景色に感情を重ねることで、より深い意味が表現されているのです。
「瀬をはやみ」の歌は恋の歌?それとも…
しかし、崇徳院の人生を知ると、単なる恋愛歌ではないことがわかります。この歌が詠まれた背景には、彼の波乱に満ちた生涯や都を追われた無念が影響しているとされています。
川の流れが岩にせき止められ、二つに分かれても再び一つになる様子は、「今は離れ離れでも、必ずまた再び戻る」という願いの象徴といえます。これは単なる恋人との再会ではなく、自らが再び都に戻ること、あるいは自分の血筋が朝廷で再び栄えることを願ったとも考えられます。
このように、恋歌としての解釈だけでなく、政治的な意味を含む歌として捉えると、より深い意味を感じ取ることができます。
崇徳院の「怨霊伝説」は本当なのか?
彼は保元の乱に敗れ、讃岐に流された後、都に戻ることを許されず、そのまま生涯を終えました。この無念が強い怨念となり、後に「怨霊」として語られるようになったのです。
伝説では、彼が舌を噛み切って血で経文を書いたとも、爪や髪を伸ばし続けたともいわれています。さらに、彼の死後に都では天災や疫病が相次ぎ、それらが崇徳院の祟りだと考えられるようになりました。
実際、明治時代になって崇徳院を鎮めるために都へ改葬しようとしたところ、関係者が次々と亡くなる出来事も起こっています。このような伝承が今も残り、崇徳院の歌にはただの恋歌ではない、強い情念が込められていると考えられています。
まとめ|百人一首『77番』のポイント
- 原文:瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
- 読み方:せをはやみ いわにせかるる たきがわの われてもすゑに あはむとぞおもふ
- 決まり字:せ(一字決まり)
- 現代語訳:川の流れが速いために岩にせき止められ、滝川は一度二つに分かれる。しかし再び合流するように、たとえ今は別れていても、将来必ず再会できると信じている
- 背景:崇徳院が詠んだ歌で、恋愛だけでなく、保元の乱で敗れて都を追われた自身の境遇や無念さを詠んだとも解釈される
- 語句解説①:瀬をはやみ‐「瀬」は川底が浅く流れの速い場所で、「瀬が速いので」という意味
- 語句解説②:岩にせかるる‐「せかるる」は「堰き止められる」の意で、岩によって流れが一時的に止まる様子を示す
- 語句解説③:滝川‐激しい流れの川のこと。現代の「滝」に近い意味だが、流れの速さに重点がある
- 語句解説④:われても‐「われ」は「割れる」「別れる」の意味を持つ掛詞
- 語句解説⑤:末に‐「末」は未来や行く末を指し、「最後には」「いずれは」の意味
- 語句解説⑥:あはむ‐「合う」と「逢う」の意味を持つ掛詞で、「水が合流すること」と「人が再会すること」を重ねる
- 語句解説⑦:ぞ‐強意の係助詞で、「必ず〜だ」という強い意志を表す
- 語句解説⑧:思ふ‐「願う」「強く心に思い描く」という意味で、「必ず再会したい」という気持ちを表す
- 作者:崇徳院(すとくいん)
- 作者の業績:藤原顕輔に『詞花和歌集』の編纂を命じる。保元の乱で敗れ、讃岐に配流される
- 出典:詞花和歌集(しかわかしゅう)
- 出典の収録巻:「恋」228番
- 語呂合わせ:せ ゑ(せみのせ)
- 豆知識①:「瀬をはやみ」とは‐愛しい人や大切なものと別れても、将来必ず再会することへの強い意志が込められている
- 豆知識②:「瀬をはやみ」の歌は恋の歌?‐一見恋の歌に見えるが、崇徳院の都への未練や復権を願う気持ちを表した政治的な意味も含まれているとされる
- 豆知識③:崇徳院の「怨霊伝説」‐崇徳院は日本三大怨霊の一人とされ、彼の死後に天災や疫病が相次ぎ、祟りがあると恐れられた