百人一首の第89番は、作者 式子内親王(しょくしないしんのう) が詠んだ、秘めた恋心とその葛藤を切実に表現した歌として知られています。
百人一首『89番』の和歌とは
原文
玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
読み方・決まり字
たまのをよ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする
「たま」(二字決まり)
現代語訳・意味
私の命よ、絶えるのなら絶えてしまえ。このまま生き永らえていると、恋心を堪え忍ぶ気持ちが弱くなり、その恋が他人に知られてしまうと困るから。
背景
百人一首『89番』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した式子内親王が詠んだ歌です。彼女は皇族として賀茂神社に仕える「斎院」を務め、公に恋愛をすることが許されない立場にありました。
この歌は「忍ぶ恋」を題材にしており、恋心を隠し続ける苦しみや、その感情が漏れてしまうことへの恐れが込められています。また、式子内親王は家族の死や政治的混乱、呪詛事件など波乱万丈な人生を送りました。
そのため、この歌には彼女の人生経験が反映され、切実で重みのある表現が見られます。当時の貴族社会における恋愛や女性の立場が、この一首を通して垣間見えるのです。
語句解説
玉の緒(たまのを) | 本来は「玉を通した紐」という意味。ここでは「魂を身体につなぎとめる緒」、つまり「命」を象徴する言葉として使われている。 |
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たえなばたえね(絶えなば絶えね) | 「絶えてしまうなら絶えてしまえ」という、命に対する切実な願いを表現している。 |
ながらへば(長らへば) | 「ながらふ」は「生きながらえる」という意味。「ば」は仮定の接続助詞で「もし生きながらえたならば」という意味になる。 |
しのぶること(忍ぶること) | 「忍ぶ」は「我慢する」「人に気づかれないようにする」という意味。ここでは「恋心を隠し通す」という意味で使われている。 |
よわりもぞする(弱りもぞする) | 「恋心を堪え忍ぶ力が弱くなり、その恋が人に知られてしまうと困る」という意味になる。 |
作者|式子内親王
作者名 | 式子内親王(しょくしないしんのう/しきしないしんのう) |
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本名 | 「のりこ」とされることもあるが、確定していない。 |
生没年 | 1149年(久安5年)~1201年(建仁元年) |
家柄 | 後白河天皇の第三皇女(皇族) |
役職 | 賀茂斎院(かもさいいん)として、11歳から約10年間、賀茂神社に仕えた。 |
業績 | 『新古今和歌集』に最多の49首が収録されるなど、平安末期を代表する女流歌人。藤原俊成に師事し、和歌の才能を開花させた。女房三十六歌仙の一人。 |
歌の特徴 | 繊細で内省的な表現が多い。秘めた恋心や静かな情熱を詠んだ歌が多い。表現が控えめながらも、内面の激しい感情が滲み出る歌風。 |
出典|新古今和歌集
出典 | 新古今和歌集(しんこきんわかしゅう) |
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成立時期 | 1205年(元久2年) |
編纂者 | 藤原定家(ふじわらのていか)、藤原家隆(ふじわらのいえたか)、源通具(みなもとのみちとも)などの歌人 |
位置づけ | 八代集の8番目の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 約1,980首 |
歌の特徴 | 情調的で象徴的な表現が特徴で、余情や幽玄を重んじた繊細な歌風を持つ。初句切れや三句切れ、体言止めなどの技巧を多用し、貴族の失望感や虚無感を反映。 |
収録巻 | 「恋一」1034番 |
語呂合わせ
たまのをよ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする
「たま のの(のが玉に見える)」
百人一首『89番』の和歌の豆知識
百人一首『89番』の表現技法とは?
- 比喩法:「玉の緒」‐命を「玉の緒」に例えることで、命の儚さや切れやすさを視覚的に表現しています。
- 倒置法:「たえなばたえね」‐「絶えるなら絶えてしまえ」と語順を逆にすることで、切実な願望が強調されています。
- 対句法:「たえなばたえね」「ながらへば」‐二つの動詞「絶ゆ」「ながらふ」が対照的に使われ、命の「終わり」と「続くこと」の対比が際立っています。
- 呼びかけ:「玉の緒よ」‐「玉の緒」に直接呼びかけることで、命そのものに対する切実な願いが表現されています。
「玉の緒」の深い意味
当時の人々は、命を「玉の緒」に例えることで、命の儚さや繊細さを表現しました。また、「絶え」「ながらへ」「弱り」という言葉は、すべて「緒」に関連する縁語として使われ、歌全体に統一感を与えています。式子内親王は、命そのものを恋心に重ね合わせ、切実な思いを表現したのです。
式子内親王と藤原定家の関係
定家は彼女を師としても敬っており、彼女の歌に深い感銘を受けていました。『明月記』という定家の日記には、式子内親王を見舞う様子や彼女の体調を気遣う記録が残されており、二人の関係が特別であったことを物語っています。これが事実であれば、この歌は定家への切ない恋心の表れとも解釈できるでしょう。
まとめ|百人一首『89番』のポイント
- 原文:玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
- 読み方:たまのをよ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする
- 決まり字:「たま」(二字決まり)
- 現代語訳:私の命よ、絶えるのなら絶えてしまえ。このまま生き永らえていると、恋心を堪え忍ぶ気持ちが弱くなり、その恋が他人に知られてしまうと困るから
- 背景:式子内親王が斎院としての立場から自由な恋愛が許されず、忍ぶ恋の苦しみを詠んだ歌
- 語句解説①:玉の緒‐命や魂をつなぎとめる象徴
- 語句解説②:たえなばたえね‐絶えてしまうなら絶えてしまえという切実な願い
- 語句解説③:ながらへば‐もし生きながらえたならば
- 語句解説④:しのぶること‐恋心を隠し通す意味
- 語句解説⑤:よわりもぞする‐堪え忍ぶ力が弱くなり、恋が人に知られる恐れ
- 作者:式子内親王(しょくしないしんのう/しきしないしんのう)
- 作者の業績:『新古今和歌集』に最多49首が収録されるなど、平安末期を代表する女流歌人
- 出典:新古今和歌集
- 出典の収録巻:「恋一」1034番
- 語呂合わせ:覚え方「たま のの(のが玉に見える)」
- 豆知識①:表現技法‐比喩法、倒置法、対句法、呼びかけを使用している
- 豆知識②:玉の緒‐命の儚さや繊細さを象徴的に表現
- 豆知識③:藤原定家との関係‐親しい交流があり、特別な絆が感じられる