百人一首『97番』来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ(権中納言定家)

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百人一首の第97番は、作者 藤原定家(ふじわらのさだいえ)が詠んだ、恋人を待ち焦がれる切ない心情を情景と重ねて表現した歌として知られています。

百人一首『97番』の和歌とは

原文

来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ

読み方・決まり字

こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに やくやもしおの みもこがれつつ

こぬ」(二字決まり)

現代語訳・意味

どれほど待っても来ない人を想い続けている私の心は、松帆の浦の夕凪の時に焼かれる藻塩が焦げるように、恋い焦がれて苦しんでいます。

背景

百人一首『97番』の和歌は、藤原定家が詠んだ恋歌です。この歌の背景には、兵庫県淡路島北端の松帆の浦という地が描かれています。松帆の浦は、古くから海藻を焼いて塩を作る藻塩焼きが行われた場所で、夕凪の静かな情景が人々に親しまれてきました。

この歌では、夕凪時の穏やかな海と藻塩を焼く様子を、恋人を待ち焦がれる気持ちに重ねています。恋心と風景が融合したこの歌は、当時の読者にも共感を呼ぶものでした。松帆の浦の美しい自然が、恋の切なさを引き立てています。

語句解説

来ぬ人を「来ぬ(こぬ)」:来ないという意味。「人を」:来ない人を指す。
松帆の浦兵庫県淡路島北端にある海岸の地名。
夕なぎ(夕凪)夕方に風が止み、海が静かになる状態。山と海の温度が均等になることで生じる現象。
焼くやもしほの「焼く」:藻塩を作る際に海藻を焼く行為を指す。恋の焦がれる気持ちを比喩的に表現している。「藻塩(もしお)」:海藻に海水を染み込ませ、干した後に焼いて塩を精製する古い製法で作られる塩。
身もこがれつつ「身」:自分の体、または心を指す。「こがれつつ」:恋に焦がれ続ける状態を表現している。

作者|権中納言定家

作者名権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)
本名藤原定家(ふじわらのさだいえ)
生没年1162年~1241年
家柄平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家で、御子左流(みこひだりりゅう)という和歌の名門の家柄。
役職正二位・権中納言にまで昇進し、京極中納言、または京極殿とも呼ばれた。
業績『新古今和歌集』の撰者の一人として活躍。『新勅撰和歌集』を編纂。小倉百人一首を選定し、日本文学の歴史に大きく貢献。
歌の特徴幽玄体から独自に発展させた「有心体(うしんたい)」を提唱し、象徴的で情緒的な表現が多い。恋歌を得意とし、情感豊かで技巧的な和歌が多い。

出典|新勅撰和歌集

出典新勅撰和歌集(しんちょくせんわかしゅう)
成立時期1235年(文暦2年)
編纂者藤原定家
位置づけ9番目の勅撰和歌集
収録歌数1,374首
歌の特徴四季歌や恋歌のほか、賀歌・羇旅歌・神祇歌・釈教歌を含む構成が特徴です。平淡優雅な歌風と物語性を持つ和歌が多く、藤原家隆や藤原俊成らの作品が代表的です。
収録巻「恋三」849番

語呂合わせ

こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに やくやもしおの みもこがれつつ

こぬ やく(来ぬと焼く)

百人一首『97番』の和歌の豆知識

松帆の浦と恋の「待つ」の巧みな掛詞

この歌では、「松帆の浦」の「松」と「待つ」という言葉を掛け合わせた「掛詞」が使われています。

この技法により、地名が単なる場所の説明ではなく、恋人を待つ気持ちと繋がります。松帆の浦は兵庫県淡路島北端にある美しい海岸で、古くから多くの歌に詠まれてきました。ここでは、夕凪の静かな海辺の風景が、待ち続ける切なさをさらに際立たせています。

また、「松帆の浦」と「夕凪」という穏やかな情景が、恋心の儚さを象徴しています。初めて百人一首に触れる方でも、このような背景を知ることで、歌の深みをより感じられるでしょう。

焼く藻塩に秘められた恋心の象徴

歌中の「焼くやもしほの」という表現は、実際の藻塩作りを背景に恋心を表現しています。

藻塩作りとは、海藻に海水を染み込ませて乾燥させ、それを焼いて塩を精製する伝統的な作業のことです。この「焼く」行為が恋の焦がれる心情と重ね合わされています。

また、「焦げる」という言葉は、恋の切なさややるせなさを象徴する役割を持っています。日常的な風景や作業を恋心に結びつけることで、歌に親しみやすさが生まれるのもポイントです。

このように具体的な作業が比喩として使われることは、当時の和歌の文化においても高く評価されていました。

『万葉集』の影響が光る本歌取りの技法

この歌は、『万葉集』の「淡路島 松帆の浦に…」という歌を元に作られた「本歌取り」の作品です。

本歌取りとは、古い歌を引用しつつ、新しい解釈や工夫を加えて詠む技法のことです。この元となった歌では、明石に住む男性が淡路島にいる海女に恋をする内容が描かれています。

一方、定家の歌では、恋人を待ち続ける女性の視点で描かれており、切なさと情感が強調されています。この技法を通じて、古典文学の伝統を尊重しつつ、新しい形で再解釈する藤原定家の才能が光ります。こうした背景を知ると、和歌の奥深さがさらに楽しめるでしょう。

まとめ|百人一首『97番』のポイント

この記事のおさらい
  • 原文:来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ
  • 読み方:こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに やくやもしおの みもこがれつつ
  • 決まり字:こぬ
  • 現代語訳:どれほど待っても来ない人を想い続け、藻塩が焦げるように私の心も焦がれ続けている
  • 背景:兵庫県淡路島の松帆の浦の夕凪と藻塩焼きの情景に恋心を重ねた和歌
  • 語句解説①:来ぬ人を‐来ない人を指す
  • 語句解説②:松帆の浦‐淡路島北端の地名
  • 語句解説③:夕凪‐夕方に風が止んで海が静かになる現象
  • 語句解説④:焼くやもしほの‐藻塩を焼く作業と心が焦がれる気持ちを重ねた表現
  • 語句解説⑤:身もこがれつつ‐恋に焦がれ続ける心情を繰り返し表現
  • 作者:権中納言定家(藤原定家)
  • 作者の業績:『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の編纂や小倉百人一首の選定
  • 出典:新勅撰和歌集
  • 出典の収録巻:恋三・849番
  • 語呂合わせ:こぬ やく(来ぬと焼く)
  • 豆知識①:松帆の浦‐「松」と「待つ」の掛詞で恋心を象徴
  • 豆知識②:焼く藻塩‐藻塩作りを恋の焦がれる心情の比喩に使用
  • 豆知識③:本歌取り‐『万葉集』の長歌を引用し新たに再解釈
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