百人一首の第100番は、作者 順徳院が詠んだ、過ぎ去った宮中の栄華を偲ぶ歌として知られています。
百人一首『100番』の和歌とは

原文
ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
読み方・決まり字
ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり
「もも」(二字決まり)
現代語訳・意味
宮中の古びた軒から垂れ下がる「忍ぶ草」を見るにつけても、昔の天皇中心の時代を思い返さずにはいられません。そして、その栄華は偲びきれないほど深く心に残っているのです。

背景
百人一首の100番目、順徳院の歌は、鎌倉時代初期における貴族社会の衰退を背景にしています。この時代、武士が政治の主導権を握り、長く続いた貴族の栄華は失われつつありました。宮中の建物も古び、かつての輝きが見る影もなくなっていきます。
順徳院は後鳥羽上皇の第三皇子で、この歌を詠んだ20歳の頃には、すでに貴族社会の変化を深く感じ取っていました。後に承久の乱で幕府に敗れ、佐渡に流される運命を迎えますが、この歌には当時の宮中の荒廃と、過ぎ去った時代への惜しみが込められています。
藤原定家が百人一首の最後にこの歌を選んだのは、貴族文化の終焉を象徴すると同時に、その美しさを後世に伝えたかったからだと考えられます。
語句解説
ももしきや | 「百敷」は宮中や内裏を意味します。「や」は感嘆を表す助詞で、「~だなあ」というニュアンスを添えています。ここでは宮中を詠嘆する表現です。 |
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古き軒端(のきば)の | 「古き軒端」は、宮中の古びた建物の屋根の端を指しています。「軒端」は具体的には屋根の端の部分のことです。古びた様子が強調されています。 |
しのぶにも | 「しのぶ」には二つの意味が掛けられています。一つは「過去を懐かしむ」という意味、もう一つは軒に垂れ下がる「忍ぶ草(ノキシノブ)」という植物の名前を指します。掛詞として使われています。 |
なほあまりある | 「なほ」は「やはり」という意味。「あまりある」は「しのんでもしのびきれないほど」というニュアンスを持っています。ここでは、昔の栄華が偲び尽くせないほど強く心に残る様子を表しています。 |
昔なりけり | 「けり」は気づきを表す助動詞で、「昔だったのだなあ」と感嘆しています。「昔」は天皇中心だった貴族社会の栄華を指しており、それが遠い過去であることをしみじみと思い返しています。 |
作者|順徳院

作者名 | 順徳院(じゅんとくいん) |
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本名 | 尊行親王(たかゆきしんのう) |
生没年 | 1197年(建久8年)~1242年(仁治3年) |
家柄 | 後鳥羽天皇の第三皇子であり、第84代天皇。皇族の中でも特に高貴な血筋を持つ。 |
役職 | 天皇(在位:1210年~1221年)。退位後は佐渡へ流され流刑生活を送る。 |
業績 | 承久の乱(1221年)で鎌倉幕府打倒を目指すが敗北し、佐渡に流刑となる。歌学書『八雲御抄』や有職故実書『禁秘抄』を執筆するなど、文化・学術面での貢献が大きい。 |
歌の特徴 | 昔の栄華を偲び、衰退する宮中を憂う歌が多い。優雅で情感豊かだが、そこに哀愁が漂う。 |
出典|続後撰和歌集
出典 | 続後撰和歌集(しょくごせんわかしゅう) |
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成立時期 | 1251年(建長3年) |
編纂者 | 藤原為家 |
位置づけ | 10番目の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 約1,370首 |
歌の特徴 | 温雅な歌風の中に中世宮廷の複雑な現実を反映した作品が特徴です。後鳥羽院や土御門院、順徳院の歌が多く含まれます。 |
収録巻 | 「雑下」1205番 |
語呂合わせ
ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり
「もも りし(桃尻)」
百人一首『100番』の和歌の豆知識

「忍ぶ草」に込められた二重の意味
しかし、この言葉には「偲ぶ(しのぶ)」、つまり過去の栄華を懐かしむ意味も込められています。この二重の意味を持つ「掛詞(かけことば)」を使うことで、歌全体に深い趣が生まれています。古びた宮中を目の当たりにしてもなお、心から偲びきれないほどの昔の繁栄。それを植物と感情の両面で表現しているのです。
この巧妙な言葉の使い方は、順徳院の高い和歌の技術を示しています。身近な植物に目を向けつつ、そこから過去の宮中の華やかさを想像すると、この歌の奥深さがさらに伝わるでしょう。
百人一首の「締め」としての特別な意味
冒頭の天智天皇の歌は、新しい時代の幕開けを象徴していましたが、この最後の歌は逆に、時代の終焉を感じさせます。百人一首が集められた鎌倉時代、貴族文化は既に衰退期に入り、武士の時代が到来していました。
編纂者の藤原定家がこの歌を最後に置いた背景には、消えゆく貴族文化への哀悼と、文化を後世に残したいという思いがあったと考えられます。この選曲によって百人一首は、単なる和歌の集成を超えた、ひとつの時代の物語として完成されたのです。
順徳院が「都忘れ」に込めた思い
この花は春から初夏にかけて咲く可憐な花ですが、その名前は順徳院自身の和歌に由来しています。都への思いを忘れるために「都忘れ」と名付けたと伝えられていますが、実際には「忘れる」どころか、逆に都を思い続ける心が込められていました。
このエピソードからも、順徳院の歌や人生には常に都への未練と深い哀愁があったことが感じられます。この花の名前が後世に残り、今も人々に愛されていることは、順徳院の心がいまだに人々の中で生き続けている証と言えるでしょう。
まとめ|百人一首『100番』のポイント
- 原文:ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
- 読み方:ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり
- 決まり字:もも(二字決まり)
- 現代語訳:宮中の古びた軒から垂れる「忍ぶ草」を見て、昔の栄華を偲び切れない思いが心に残る
- 背景:鎌倉時代初期、武士の台頭により貴族社会が衰退していた
- 語句解説①:ももしきや‐宮中を意味し、感嘆の助詞「や」で詠嘆している
- 語句解説②:古き軒端‐宮中の古びた建物の屋根の端を指す
- 語句解説③:しのぶにも‐過去を懐かしむ意味と、軒から垂れる植物「忍ぶ草」の掛詞
- 語句解説④:なほあまりある‐「やはり偲びきれない」という深い心情を表す
- 語句解説⑤:昔なりけり‐天皇中心の栄華を思い返し、感嘆する助動詞「けり」
- 作者:順徳院(尊行親王)
- 作者の業績:承久の乱で敗北し佐渡に流される。和歌や学術書で多くの貢献を残した
- 出典:続後撰和歌集
- 出典の収録巻:雑下・1205番
- 語呂合わせ:もも りし(桃尻)
- 豆知識①:「しのぶ草」は過去を偲ぶ心と植物を掛け合わせた二重の意味がある
- 豆知識②:藤原定家が百人一首の最後に選んだのは貴族文化の終焉を象徴するため
- 豆知識③:「都忘れ」という花の名は順徳院の和歌が由来で、都への未練が込められている