百人一首の第91番は、作者 後京極摂政前太政大臣こと九条良経が詠んだ、秋の夜の孤独と寂しさを静かに表現した歌として知られています。
百人一首『91番』の和歌とは
原文
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
読み方・決まり字
きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ
「きり」(二字決まり)
現代語訳・意味
コオロギが鳴く、霜が降りる寒い夜に、むしろの上に自分の衣の片袖を敷いて、私はひとり寂しく寝るのだろうか。
背景
百人一首『91番』の和歌は、九条良経(くじょうよしつね)によって詠まれた歌です。この歌が詠まれた背景には、作者自身の深い孤独感と喪失感がありました。
九条良経は公家として高い地位に就き、政治や文化面で多くの功績を残しましたが、1200年頃に最愛の妻を亡くしています。その喪失の悲しみが、冷たく静かな秋の夜の情景に重ねられています。
平安時代には、男女が共に寝る際には衣の袖を敷き合う習慣がありました。しかし、この歌では「片敷き」と表現されており、一人で袖を敷いて眠る寂しさが伝わってきます。孤独と秋の静寂が融合し、当時の貴族の繊細な感情が見事に表現された一首と言えるでしょう。
語句解説
きりぎりす | 現在の「コオロギ」のこと。秋の夜に鳴く虫として、物寂しい情景を象徴しています。 |
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鳴くや霜夜(しもよ)の | 「鳴く」は動詞の連体形で、霜夜にかかる。「霜夜」は、霜が降りるほど寒い晩秋の夜を意味する。全体で「コオロギが鳴く霜の降りる寒い夜の」という意味。 |
さむしろに | 「さ」は言葉を整えるための接頭語。「むしろ」は藁などで編まれた敷物。全体で「寒いむしろの上で」という意味。 |
衣かたしき | 「片敷き」は自分の着物の袖を自分だけで敷くことを意味する。孤独や寂しさを象徴する言葉。 |
ひとりかも寝む | 「か」は疑問の係助詞。「も」は強意の係助詞。「寝む」は推量の助動詞「む」の連体形。全体で「ひとりで寝るのだろうか」という意味になる。 |
作者|後京極摂政前太政大臣
作者名 | 後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん) |
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本名 | 九条良経(くじょう よしつね) |
生没年 | 1169年(仁安4年)~1206年(元久3年) |
家柄 | 摂関家(せっかんけ)に生まれた公家であり、藤原北家の名門。父は九条兼実。 |
役職 | 摂政、太政大臣を歴任。土御門天皇の摂政を務めた。 |
業績 | 『新古今和歌集』の仮名序を執筆。「六百番歌合」を主催し、新古今和歌集の基盤を築いた。漢詩や書道にも優れた才能を発揮。 |
歌の特徴 | 繊細で優美な表現が多い。季節や情景を深く詠み込み、感情を静かに表現する。古歌を踏まえた「本歌取り」が得意。 |
出典|新古今和歌集
出典 | 新古今和歌集(しんこきんわかしゅう) |
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成立時期 | 1205年(元久2年) |
編纂者 | 藤原定家(ふじわらのていか)、藤原家隆(ふじわらのいえたか)、源通具(みなもとのみちとも)などの歌人 |
位置づけ | 八代集の8番目の勅撰和歌集 |
収録歌数 | 約1,980首 |
歌の特徴 | 情調的で象徴的な表現が特徴で、余情や幽玄を重んじた繊細な歌風を持つ。初句切れや三句切れ、体言止めなどの技巧を多用し、貴族の失望感や虚無感を反映。 |
収録巻 | 「秋」518番 |
語呂合わせ
きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ
「きりぎりす ころもか(キリギリス 衣硬い)」
表現技法
比喩法 | なし |
---|---|
倒置法 | なし |
体言止め | なし |
対句法 | なし |
反復法 | なし |
省略法 | なし |
呼びかけ | なし |
百人一首『91番』の和歌の豆知識
作者は早熟の天才歌人
これは当時としては異例のことです。さらに彼は歌だけでなく書道や漢詩にも優れ、その書風は後に「後京極流」と呼ばれました。しかし、38歳という若さで急死し、その才能は惜しまれました。
彼の歌には、早熟の天才ならではの繊細さや洗練された表現が見られます。若くして才能を開花させ、短い生涯の中で数々の名作を残した彼の人生は、多くの人々に感銘を与えています。
「きりぎりす」とはどんな虫?
当時の日本では秋の夜に鳴く虫の音色が季節を象徴するものとして、文学や歌に多く取り上げられました。コオロギの鳴き声には、寂しさや物哀しさが感じられ、秋の風情を一層引き立てます。
自然の小さな生き物が、作者の孤独感や秋の冷たさを表現する大切な要素として詠み込まれているのです。
「さむしろ」に隠された言葉遊び
一つは「寒いむしろ(敷物)」という直接的な意味、もう一つは「寒し(冷たさや寂しさ)」という掛詞(かけことば)です。
当時、むしろは簡素な敷物として使われ、秋の夜の冷たさを象徴する道具でもありました。さらに「寒し」という言葉が寂しさや孤独を連想させるため、「さむしろ」という一言だけで、物理的な寒さと心の冷たさが見事に表現されています。平安時代の歌人たちは、こうした言葉遊びを駆使して、限られた文字数の中で深い情景や感情を描き出していたのです。
まとめ|百人一首『91番』のポイント
- 原文:きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
- 読み方:きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ
- 決まり字:「きり」(二字決まり)
- 現代語訳:コオロギが鳴く霜の降りる寒い夜に、むしろの上に衣の片袖を敷いて、ひとり寂しく寝るのだろうか
- 背景:九条良経が妻を亡くした後、孤独感を冷たい秋の夜に重ねて詠んだ歌
- 語句解説①:きりぎりす‐現代の「コオロギ」を指す
- 語句解説②:鳴くや霜夜‐霜が降りるほど寒い秋の夜
- 語句解説③:さむしろに‐寒いむしろの上でという意味
- 語句解説④:衣かたしき‐自分の衣の袖を敷いて眠る寂しさ
- 語句解説⑤:ひとりかも寝む‐ひとりで寝るのだろうかという疑問
- 作者:後京極摂政前太政大臣(九条良経)
- 作者の業績:『新古今和歌集』の仮名序を執筆し、六百番歌合を主催
- 出典:『新古今和歌集』
- 出典の収録巻:秋・518番
- 語呂合わせ:「きりぎりす ころもか(キリギリス 衣硬い)」
- 表現技法①:比喩法‐なし
- 表現技法②:倒置法‐「なし
- 表現技法③:体言止め‐なし
- 表現技法④:対句法‐なし
- 表現技法⑤:反復法‐なし
- 表現技法⑥:省略法‐なし
- 表現技法⑦:呼びかけ‐なし
- 豆知識①:九条良経は10代で『千載和歌集』に7首選ばれた早熟の天才
- 豆知識②:「きりぎりす(コオロギ)」は秋の夜の寂しさを象徴する虫
- 豆知識③:「さむしろ」は「寒し」と「むしろ」の掛詞が使われている